嫌いなものとの向き合い方

好きなものだけに囲まれて生きていたい。

そんなふうに思った時もありました。

今はそこまでこだわりは強くありません。

けれど、わざわざ嫌いなものをみながら生きているのはやっぱり嫌だなあ、と思います。

「好き」は、今ある「好き」だけで十分でしょうか?

私は今のところ「十分である」と感じてはいますけど、「好き」を増やしたくなる時が来るかもしれません。「好き」を増やしたいと思っている人もいるかもしれません。

もしも、「好き」を増やすのなら、「嫌いなもの」とか「興味のないもの」に目を向けないといけなくなるでしょう。

「嫌いなものや興味のないものの中からしか、次の好きなものは生まれない」

と、とある作家さんが言っていました。残念ながらお名前は忘れてしまいました。

「そうだなあ。」と思えたので、そのフレーズは覚えています。

好きなものの中には、新たな好きは芽生えにくいでしょう。

もしも芽生えたとしたら、これまで好きだったそれの中に「興味のない」部分があって、それを改めて発見できて好きになったのでしょう。

嫌いなものを「嫌いだから」という理由で遠ざけていましたけど、嫌いなものは「次の好き」に変身するポテンシャルを持っているわけですね。

嫌いといえども、意識というか視野の片隅には置いておいてもいいのかもしれません。

そんなふうに思ったら、世の中は「今、好きなもの」、「昔、好きだったもの」、「次に好きになるもの」しかないってことになりますね。

世の中は「好きなもの」で溢れているってそういう意味なのか、って気づきました。

今、「嫌いなもの」「興味のないもの」に対しての姿勢が少しだけ変化したような気がします。

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