「推す」行為そのものが尊いのだと気づく

地方で育ってきたので、子供の頃のテレビはチャンネルが5個くらいだった。

現在も地上波のチャンネルは6個なので、当時と大して変わらない。

ラジオはAMで3種類、FMで2種類。その他にニッポン放送とかTBSラジオがかろうじて受信できていたけど音はクリアには聞こえなかった。

ローカルのFMラジオ局が私が地元を離れた後に開局したようだったけど、今から1〜2年前になくなった。ラジオ局が消えてしまうのはなかなか衝撃だった。

中学生の頃に我が家にBSが導入された。

視聴できるチャンネルが増えた。WOWOWは契約していなかった。

子供の頃の娯楽?はそこにファミコンが加わるくらいで、後は漫画を読むとか本を読むとか外で遊ぶとかだった。

レンタルビデオも時々見ていた気がするけど、その時間はとても少なかった。

現代はそこに、ケーブルテレビ、CS放送、インターネット番組、が加わっている。

ラジオもインターネット回線を使って他県の放送もクリアに聞くことができる。

Youtubeは圧倒的なコンテンツ量をほこっていて、音楽(MV、ライブ)、ラジオ、テレビもカバーしている。

映画はサブスクで、レンタルしなくても大量に見ることができる。

漫画や本も同様だ。

スポーツのライブ中継がストリーミング配信されて、スタジアムやアリーナに行けない試合でも観るのが可能になった。

ゲームは相変わらず面白い。そして面白い作品の何十倍もの量で面白くない作品がある。

SNSによって、本や漫画や映画やドラマになる以前の短いコンテンツもたくさん生まれている。

私達の周りはコンテンツで溢れて、選ぶのが困難になっている。

時間が足りない。選ぶ時間も楽しむ時間も。

気に入っていて、好きで、いつも見たいのに、そのコンテンツが埋もれていってしまうほどのスピードで他の大量のコンテンツが流れてくる。頼んでもいないのに。

いや、頼んでもいないのに、は嘘だ。サブスクサービスはそういうものだ。契約した時点で、大量のコンテンツに埋め尽くされる状況を受け入れているのだ。

とにかく大量のコンテンツから選べるのが、サービスの売りだから。

意思を持って選べないと、各種プラットフォームのAIに「オススメ」されたコンテンツを反射的に選んでしまう。それが「好き」で「お気に入り」のコンテンツではなくても。

意思を持っていたとしても、明確な好きがあっても、意図せず配信者との関係が薄れてしまうことになりかねない。それは悲しい。

コンテンツを受け取る側はそんな悩みがある。

配信する側も同じだと思う。

ファンでいてくれると思っている人へ、熱のこもった作品を届けたくて、届けていたつもりが大量のコンテンツによって埋もれている可能性が生まれている。

高頻度で配信していても、受け取る側に気付いてもらえないと受け取る側の(ファンの側の)私に「あれ?最近、配信してない?」と勘違いされてそのままファンをコンテンツの波に奪われていってしまう。

ファンでいたい(私)のに、ファンでいてほしい(配信側)のに、関係性が薄まっていく可能性がある。

大量のコンテンツって、ニッチな人たちも含めて多くの人の欲求を満たすようにできている。

大多数の好みだけでなく、少数派の満足もカバーできる形になっているのだと思う。

コンテンツの大量消費が当たり前になってきたからこそ、お気に入り、ブックマーク、1対1の関係性、が大事なのかもしれない。

大手プラットフォームを介しても良いし、独自のまたは個別の関係構築手段でも良いのだろうけど、配信側とファンの良好な関係が続くように双方の努力が求められる時代なのだろう。

配信する側は埋もれない努力が、受け取る側(私)は大量のコンテンツの中から見つけ出す(見逃さない)努力が求められる。がんばろう。

大変なのは配信する側だと思う。良質で満足いくコンテンツを出していても、ファンに届かない時もあるのだから。

作成の努力と、それを届ける工夫の両方を備えないといけない。でも、情報発信する人って昔からそうだったのかもしれない。

「推し」がいる人が幸せなのは、大量のコンテンツに押しつぶされずにいられるからなのかもしれない。そこには明確な自己がいる。自らの意思で「推し」ているのだから。

それがなければ、機械のオススメ、または顔も素性も知らない大多数の人気投票ランキングによるコンテンツを何の意思もなく消費することになる。

「推し」は、その存在が尊いだけでなく、「推す」行為自体が自己の確立という意味で尊いのかもしれない。


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