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痛みに慣れる

初めて椎間板ヘルニアの痛みに襲われたときは死ぬかと思った。腰椎に打ち込まれた木の杭をぐいぐいと奥にねじこんでくるかのような容赦ない痛みが、神経を通して脳内を駆け巡る。呻きをあげ、のたうち回ることもできず、いつ痛みが引くのか、これが永遠に続くのかも分からずただ苦しむのみ。
でも病院に行ってMRIの画像を見せられると合点がいく。椎間板がぷちゅっとつぶれて鋭く神経を突き刺している。痛いわけだ。原因が分かったからといって、痛みがなくなるわけではないが、不安はなくなる。なんとなく苦しみも和らぐ気がする。痛いだけで死ぬわけじゃない。上手につきあいながら生きていく術を次第に身につけていく。痛みに慣れるとはそういうことだ。


思春期の頃は感じやすくて、心なんて簡単に傷ついてしまう。人の言うことは気になるし、右から左なんてできやしない。目の細かなフィルターはあらゆる雑味を引き受けて、心をとにかくざらつかせる。どんな言葉も無視できないから、治りの遅い切り傷の上に、また傷をつけ、常の痛みに晒される。若さとは同時に痛みでもあるが、そのことに気付くことができないのもまた若さ。修復できないほどに魂を損なってしまうのもまた若さだから、自分を外から見ることを大切に思ってほしい。


あ、自分は傷ついているのだと、外から見た己の姿はこんなにもぼろぼろだと、自らの視点で理解できたとき、何粒かの涙と一緒に苦しみも少しだけ流れていく。痛みに苦しむきみの姿を自覚できたとき、きみは初めてほんの少しだけ痛みが和らぐことを感じることができるんだ。


痛みに慣れることは何かを失うことではないし、大人になっていくことは、心をすり減らしたがために今まで感じていた大切なものを失うことではない。傷ついた心を包み込むようにして自分を見つめることができる冷静で優しい目を持つことが、大人になるってことなのかもしれない。

これだけ歳をとったのに、少しも大人になった気がしないけれど。

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