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まだ跳べる。もっと遠くへ。



小学校の頃は漫画を描くことが好きだった。自由帳に描いた拙いストーリー漫画を友人達と持ち寄って一冊に合わせ、学級文庫に勝手に配置して喜んでいた。表紙には担任の先生の似顔絵と、超有名少年誌へのオマージュとおふざけで「中年ジャンプ」のロゴ。あの頃の先生、まだ三十代だったろうに生徒達に中年呼ばわりされて今思えば少し可哀想だ。僕はもうあの頃の先生よりだいぶ年上になって、中年と呼ばれても何の不服もなく、それが何かと言える年齢になってしまった。あの頃の悪ガキ達が皆、もう五十を迎えようとしているとは、時の流れの早さにため息をつくばかりだ。

四十になった時、為してきたことのあまりの乏しさと、まだまだやっていないこと、やってみたいことがたくさんあることに唖然とした。そして人生も(恐らくは)半分を過ぎてしまい、もう時間もそう多くは残されていないことに呆然と立ち尽くした。思えば二十代の半ばまでに決めた方向に向けてひたすら走り続け、全く成長しないまま不惑と言われる年齢を迎えてしまったような気さえする。家族にも仕事にも恵まれ、少しも裕福ではないそしてつつましい田舎暮らしを続けてきたけれど、その幸せは僕の思考を緩やかに麻痺させるに足るものでもあった。それに抗おうと、この十年は仕事に軸足を置きながらも少しずつ、本当に少しずつだけど小さなことからやろうとしていたことを実行に移してみた。禁煙しランニングを習慣にした。学生以来となる登山を再開して登りたかった山に足跡を刻むことができた。二十歳で卒業した二輪車をまた始め、中年ライダーの仲間入りを果たした。仏語や西語など欧州の言語を学んでみた。仕事から少し距離を置いて自分のための時間を過ごすことにシフトしていくことにした。文章を綴り公開することもその小さなことの一つだった。

読むことも書くことも好きだから若い頃から続けてきたけれど、その量が少なくなってしまったことに気付いたのが最初だった。意識しなくても読書量はある程度あったけど、自己の内面と向き合って書き綴る機会は少なくなっていた。その時は何の気なしでnoteのアカウントを開設して数ヶ月は読むことしかしなかった。最初にまとまった短文を投稿したのがちょうど一年前のことになる。



読んでいて刺激を受けたのである。二十代の方の胸に刺さるような痛みを吐露する投稿に時代は移れど苦悩の本質は変わらぬと落涙し、三十代ならではの仕事や恋の悩みにこうすればよかったのかなと自らを振り返る。同年代や年長の方の記事には膝を打ち、そんな昔もあったと懐かしむ。そうした刺激を受ける中で、やはり僕はものを書く人でありたい、生み出すことで誰かの心に光を灯すような、そんな生き方に憧れていたことを思い出したのだった。




あれから一年経った。今もスキや心温まるコメントに背中を押され細々と投稿を続けている。どんな気持ちでこのアカウントをフォローいただいたり記事を読んでいただいているのかは分からないけど、こうしてネットの海に流さなければ読まれるはずもない駄文を読んでもらえるだけでも嬉しく思っている。一ヶ月以上間隔が空いたかと思えば週に何本も載せたりして、その方針はまさにテキトーなのだけど、今日でようやく七十六本目の記事になる。このペースではいつになるやら分からないが、少なくとも百本までは続けようと決めている。その中には自分で納得できる、これはよく書けたという記事が一本でもあれば嬉しい。

まだ他にもやりたいことはたくさんある。好きなことはどんどん増える。リストには書ききれない。そんなら全部やってやろうと思うのだ。


小六の時あの教室で、みんなで集まって中年ジャンプを作っていたときにはこんな日がくるなんて思わなかった。だから、まだ少年の僕に言っておこう。

これから先、楽しいこともつまらぬことも、ただただつらいことも、どうしようもなく悲しいこともある。人生とは不条理に耐えることのほうが多いのだ。でも君は時々躓きながら飛び越えていく。泣きながら落ちた穴から這い出てとぼとぼと歩き出す。ここにいる仲間を大切にするといい。いつかは会わなくなってしまうが、こうして語り合い共に創り上げた記憶がきっと将来の君を支え、どう進むべきかを教えてくれる。そしていつか担任の先生よりも年上になって、本当に中年になった時、どんなにみっともなくても君はまだ跳ぼうとするだろう。これからの君がそうするのと同じように。

少年はきょとんとした表情で友人達と教室を後にする。一人残された僕は腰痛を気にしながらその場で飛び跳ねてみる。中年ジャンプ。大丈夫、まだ僕は跳べる。もっと遠くへ行きたいんだ。



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