汚くても、とにかく心を震わせて生きる
今の会社には、2017年12月に入社した。
イタリアワイン専門の小さな輸入会社だ。
それまでは大手のワイン輸入会社にいて、ただぼんやりと生きていた。「中途のアルバイト入社だし、どうせ出世することもないんだろうな」とか考えながら。
放っておくとぼんやりと生きがちな自分にはあまり珍しいことではない。とにかく毎日怒られないようにカウンターに立って、時間をやり過ごす。
いや、はじめから仕事にやる気がないわけではないのだ。
自分で言うのもなんだが、私はけっこう閃きタイプで、棚に品出ししている間も、ワインをサービスしている間も、接客中も絶えず頭の中にアイデアが湧いていた。
色々な想いが浮かんでは消え、誰かに話したくなる。
夜、同僚と酒を飲み酔った勢いで話し、計画を実行しようと誘ったり、夜中に誰彼構わず電話しその熱い想いをぶつけてみる。
その時は良いのだ。その時は。
しかし翌朝、猛烈に恥ずかしくなり、やっぱり酒なんて飲んでモノを考えるべきじゃない、とか、自分のまとまっていない考えなんて人にぶつけても迷惑なだけだとか、後悔と反省を繰り返しているうちにすっかり無気力になってしまった。
以来、そのワイン会社を辞める頃には生来のお気楽さとニヒリズムとが入り混じって、夢もなくただ漫然と生きるようになってしまっていた。
もうどうなっても良い。
だが腹は減る。
小さな頃から短いものにせよ長いものにせよ、文章だけは書き続けていたので、こうなったら思い切ってせっかくとったソムリエバッジも捨てて、物書きになろうと決めた。
いきなり食べていくことはできないかもしれないが、続けて量をこなせばなんとかなるだろう。
ただ、無気力さを振り払うのにはけっこう時間がかかってしまった。
その瞬間は、不意に訪れた。
ひょんなことから入社した今の会社では、ものすごくラッキーなことにイタリア現地取材に初年度から行かせてもらったが、初めての海外でドキドキしながらも、どこかクールにその私を見つめているもう一人の私がいた。
しかし、旅の後半、ナポリの夜景が見えるバーで取材スタッフ3人で酒を飲みながら突如として感極まってしまった。
涙こそ見せなかったが、私の中で静かに何かが沸騰していた。
ナポリの街は混沌として治安も悪く、路肩はゴミで埋もれていたが、底知れぬエネルギーに満ち溢れていた。
そこにあるのは、金もないし人生は醜いことだらけかも知れない、それでも生きるしかないという根源的な強さだった。
無気力でも、生きていていいんだ。
汚くても、生きるしかないんだ。
ずるくても、心を震わせていいんだ。
眼前に広がるナポリ湾が私の全てを肯定してくれている気がして、魂を打たれてしまったのだ。
その時の取材メモが残っている。
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いよいよイタリア出張も終盤にさしかかり、南イタリア・カンパーニア州ナポリへ。写真は高台のバーからみたナポリ湾である。
山の端に見えている地域はお金持ちが住むところ。ふもとには貧しい人々が。貧富の差が激しい。しかし面白いことに、貧しい街の方が明るいのだ。行き場のない魂を瞬間、灯すように。
街の至るところにゴミが溢れ、車やバイクが縦横無尽に走り、そこはかとなく汗と埃の匂いがする。
ナポリはイタリアというより、別の国だ。カオス=混沌という名の。しかし、光と闇がナポリ湾に浮き彫りとなって、まだこの地は美しい。
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美しさはバラの花だけが持っているものではない。
ゴミの街にも一瞬の美しさがある。
ならば、輝ける日を自らに期待して生きていくしかない。私はイタリアでそう心密かに決めた。
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