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Marion Brown Documentaryから



先日、youtubeで




上掲の「Rare Video:  Marion Brown in 1967」を視聴していた。これは、フリージャズ(またはニュージャズ)と称ばれた、1960年代に起こったジャズの新しい潮流の中で頭角を現したミュージシャン、マリオン・ブラウン(1931-2010)の姿を追ったドキュメンタリーだ。

このフィルムは、たぶんものすごく貴重なものではないかと感じた。おそらく当時無名の学生かジャーナリストかが、映像制作を学ぶ中で試験的に録画したとか、そういった類いのものなのではないか。(幾つか情報をあたってみたが、残念ながら詳しい所が分からなかった。)

60年代という時代は社会も政治も混迷していたが、音楽はそれを最もダイレクトに反映した文化だった。(言い換えるなら、それだけ音楽は時代文化として大きな力、影響力を持っていた。)中でもジャズは、そのうねりを特に強く こうむった音楽だったと思う。

ある人は60年代の音楽を“ビートルズ”で象徴するかもしれない。あるいはピーター、ポール&マリーやボブ・ディラン達フォークミュージック。またはジョン・コルトレーン。レイ・チャールズ。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやローリングストーンズ…。

私は、この時代の「音楽」をイメージするとき、マリオン・ブラウンが本ドキュメンタリーの中に見せている姿や雰囲気がまず浮かんでくる。

様々な人種や立場の人々が入り乱れながらも互いに孤立している、殺伐としたニューヨークの雑踏の中を独り、思慮に沈み込みながら歩いていく痩身の黒人青年のシルエットがある。その姿はうつくしく、彼の内部には意志と葛藤が複雑に交錯しているようだ。

…本当はここで更に立ち入って、当時の音楽シーンの全体的な状況や彼等の激しい演奏(ドキュメンタリー後半に登場する)の質や意味について、慎重に考察してみたくもなる。

だが、この動画は素晴らしく、捉えられた映像の中に広がる光景そのものによって、当時の表現者達が晒されていた時代的雰囲気や活動の困難さ、また社会的状況とアーティストの自意識の関連性…といったものが、巧みに、端的に可視化されていると思う。

ちなみに、私は、この人の「Why Not」(ESPDISK)、「Porto Novo」(Freedom)というアルバムを非常に好きで、長く愛聴してきた。二作とも本ドキュメンタリーが録画された時期に吹き込まれていた。どちらもきわめて大胆で、過激性と美質が同居している演奏だった。…

約9分間ほどの映像です。よろしければぜひご覧になってみて下さい。