佐藤秀樹さんの文章と、アル・ヘイグ
ピアニスト、アル・ヘイグ(1924-82)については、何といっても、ジャズ評論家の佐藤秀樹さんが著書で語られていた言葉がとても印象に残っている。
(筆者は佐藤秀樹さんの書かれる文章をとても好きで、訃報に接したときはつらかった。佐藤さんは2021年に亡くなられた。)
ヘイグは、ピバップの嵐が吹いていた40年代半ば頃、チャーリー・パーカーのコンボに在籍した数少ない白人ピアニストのひとりだった。なにかとバド・パウエルやデューク・ジョーダン達が話題に上りがちだが、ヘイグが入った時のパーカーのセッションはどこか優雅さが加わっているようにも聴こえた。この人特有のタッチや、ソロを取るときの流麗なラインがそういった印象をあたえるのだろう。
パーカーとマイルス、ヘイグがともにひとつのコンボにいて演奏した時代がジャズ史にはあったのだ。今となっては貴重というしかない。
Esotericというマイナーな会社から出た54年のピアノトリオ作は、アル・ヘイグという人の魅力が端的に出た美しい演奏が聴ける。上掲の佐藤さんの文章中にある青木、寺島両氏の発言は、この作品を念頭においたものだった。
ところで、私はこの一枚に負けじ劣らず、長く愛聴してきたアルバムがある。それは、75年に日本のイーストウィンドから出た「チェルシー・ブリッジ」だ。
五十歳を過ぎた円熟時代のヘイグだが、彼のピアノは若き日以上に冴えていたと思う。その音は端麗、という一語が相応しかった。
隙のない鋭利なタッチのピアノでドラマを紡いでいた。そこへ旅情を感じさせるような楽曲の数々もまた印象深いものだった。(Wショーター作の「Maoco」やカルロス・ジョビンの著名な「How Insensitive」、珍しいサム・ブラウン作「Love Will Find A Way」など。)
ヘイグの魅力は、ひとつにはアルペジオかと思う。粒を揃えた神経質なほどのタッチもこの人を特徴づけている。ビル・エヴァンスともやはり違う。ビバップ・セッションの中にあってリリシズムを感じさせる、そんな稀有のピアノだった。
ヘイグのピアノに耳の軸点を据えて、パーカーのアルバムをきく。こうした聴きかたをするのも面白く、発見があるかもしれない。
ヘイグの様なピアニストももう出てくることはないのだろう。上に引用するために佐藤さんの文章を打ちながら、あらためてそれを感じ入った。
残された録音をこれからも聴き続けたいと思う。