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20年前、ミュウツーに逆襲された話

大学生のとき、東宝系なのにスクリーンが2つしかない映画館でアルバイトをしていた。座席数はそれぞれ100席くらいしかないし、売店はパンフレット販売のみ。まるで単館系のような映画館でのんびりやってました。

とは言え、腐っても東宝系。取り扱う作品は大作ばかり。それが無料で鑑賞できたり、事前試写で一足先に新作を楽しめたり、こんなに最高のアルバイトは他にはないと思っていました。

そう、

あの夏、

ミュウツーに逆襲されるまでは…

時は1998年の7月18日。劇場版ポケットモンスターの記念すべき第一作「ミュウツーの逆襲 / ピカチュウのなつやすみ」が封切り。

当時からポケモン(特にピカチュウ)の人気は絶大で、劇場版、ようするに映画もすごく期待されていたので、混み合うことは容易に想像できていました。

なので、いつもはワンオペで回しているところを複数人体制にして、パンフレットもあらかじめ袋詰めして、いつもは取り扱わないグッズ販売のオペレーション、シミュレーションも完璧にして、誰もがすぐに対応できる万全の体制で臨みました。

(支配人や古参社員が「ポケモンの名前が覚えられない」とかのたまうもんだから、番号表を作って番号言われたらサッと出せるようにもしました。)

「初めてグッズ売るとは思えないね、ずっと前からやってたみたい」なんてバイト仲間の女の子とキャッキャウフフしながらね。

で、

当日、

これが、

ぜんっぜん追いつかねぇの。

完全に飲み込まれた。いつ喉を通った?って言う暇もなく、胃に直接フリーキックされたかと思うほど、一瞬で波に飲まれて渦の中。

開館と同時に初売り? 店じまいセール? と思うほどに流れ込んでくる親子。完全無欠のマックスパワーでダッシュしてくる短パン小僧。お目当てのピカチュウグッズが売り切れたら10万ボルトじゃすまねぇぞって目をしたカミナリ親父。ポケモンじゃない作品を見に来たのにもみくちゃにされる高校生。そしてなぜかゲロを吐いている小学生。

普段なら1日通して50人も来ない映画館だから、自分も含めてどこか気が抜けていたというか、いくらポケモンっていっても対応できるっしょ、みたいな、ようするになめてましたね。サトシとピカチュウの絆を。

だもんで、対応できない。人が足りているとか足りていないとか、オペレーションがどうとかじゃない。気持ち、心が準備できていないもんだから、もう「からだが しびれて うごけない」になってるわけ。

うほぉ、ついにおらが村にも活気がもどったと長老が喜ぶとか、そんないい話じゃなくて、これがポケモンラッシュと気がついたときにはすべてのHPもMPもなくって、すごいキズぐすりじゃ追いつかねぇ、げんきのかたまり持ってこぃぃ!ってレベル。

そんな初日を終えて、休憩室でバイト仲間と交わす会話といえば、

「明日、バイト休みてぇ…」

しかないわけで。

もはやポケモン手当を支給してもらわないと無理。社員もみんな休みてぇと思っていたはず。まあ、それでも夜には対策会議をしたんでしょうね。翌朝出勤したらオペレーションが大きく変わっていました。

なんと併設されている市民ホールを急遽3つ目のスクリーンにすることになっていました。どんな交渉して日曜を丸一日おさえたんだよ…と感心していたら、

「はーいしゅうご〜う!これからここに椅子を300脚ならべま〜す!」

って言われて震えた。

しかもその椅子ってのがパイプ椅子とかじゃなくて、市民ホール専用のそこそこいい感じの、クッション強めの重たいやつだから、よほどのマッチョでも一度に2個しか運べない。

俺、いまなら「はかいこうせん」出せるかもしれない。バイト仲間とアイコンタクトでそんな会話をしながら無心で並べました。

(そして1日の終わりに片付けて、また次の金曜の夜に並べるだけの簡単なお仕事です。許さない。)

ポケモンのことを本当に嫌いになりそうだったけど、ピカチュウは悪くない。悪いのはいつだって人間なんだと戒める。

へとへとになりながら、上映チェックでスクリーンに向かうとミュウツーがこう言っていました。

私は誰だ…。此処は何処だ…。
誰が生めと頼んだ!誰が造ってくれと願った…!
私は私を生んだ全てを恨む…!

だからこれは、攻撃でもなく宣戦布告でもなく…!
私を生み出したお前達(人類)への、逆襲だ。

支配人に聞かせてやりたい。

そう思いながら、業務日誌に「異常なし」と書いて、そっと閉じたあの日の思い出をここに記します。

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