年に一度は強制的にでも見せてほしい『耳をすませば』
僕は中学生、高校生のころは何も考えずに生きていた「うつけ者」だったので、『耳をすませば』を見ると心が苦しくなります。胸の真ん中がギュッと。いや、キュッと。どっちでもいいけど、とにかく掴まれるのです。
作中で展開される、将来に向かってひたむきな二人、そしてそこに絡んでくる甘酸っぱい恋愛に、陳腐な言い方だけど、心のぜんぶが持っていかれるのです。どこかに。
大きな声で叫びたくなるし、瞬足を履いて飛び出したくなるし、バイクを盗んで走り出したい気持ちになるのです。
本作が公開されたのは1995年の7月15日、僕が17歳(高2)のころ。
高校時代の友人が「耳をすませばを見たら、めちゃくちゃ勉強したくなるよな」と言ったことを覚えています。僕はそのとき、友人の言葉を他愛もないことだと思って無視しました。いま思っても恥ずかしいのですが、ジブリ作品と言っても宮崎駿監督でないことを理由に、見なくていいと思っていたのです。ばかやろうです。
穴があったら入りたく、無いなら掘ります、どこまでも。
100歩譲って公開時に見に行かなかったとしても、レンタルが始まった時点で即座に見るべきだったと、いまでも後悔しています。
あのとき僕が『耳をすませば』に出会っていたら、きっと人生が変わっていたことでしょう。勉強するか部活するかバイトするか、何をするにしても、もっと全力で打ち込んでいたはずだと。
どんなに低く見積もっても、中間テストは各教科5点以上アップしていたし、スリーポイントシュートの成功率も20%はアップしたでしょう。たぶん。
その5点、20%が僕の人生にどれだけの彩りをもたらしたか、豊かにしたか、想像するだけでまた胸がギュウギュウ音を立てるのです。
とは言え、反省はしても後悔はするなとじいちゃんが言っていたので、過ぎたことは一旦忘れ、定期的に鑑賞することで同じ過ちを繰り返さないようにしています。
少なくとも年に一度は、と思っているのですが、気がつけば前回いつ見たっけ?となるので人間とは恐ろしい生き物です。
日テレが定期的にテレビ放映してくれているので大丈夫だと思っていたら、調べたところ数年に一度のペースだったのでブルーレイを買うことにしました。
むしろ年に一度のペースで強制的に見せてくれるサービスがあったら加入します。そのくらい、忘れたいけど忘れてはいけない映画。
『耳をすませば』は僕にとってそんな映画です。
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