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映画の胸糞展開から自分のなりたい姿を考えた

胸糞な展開の映画を見ました。大家に追い出された男女を善意で自宅に住まわせたところ、家事しない、お金出さない、だけど口(要求)だけは出してくる話です。一言で言えば、人の善意や弱みにつけこんで、好き勝手やるバカ野郎が出てくる物語です。

『泥濘む(ぬかるむ)』

姉が家に戻ると、妹が拾ってきた若い男女が住み着いていた。お人好しの妹は追い出せず、事態はエスカレート。予想もつかない展開へ…!自らも俳優である監督が役者たちの魅力を引き出した、心をざわつかせる悲喜劇。

普段の私であれば「こいつだけは絶対に許さない…」と、その怒りを心の中で雑巾を絞ることで抑えつつ、黙って展開を見守るのですが、今回は新しい私が出てきました。

「もしも、こいつらのように好き勝手に生きられるとしたら?」

善悪の基準を無視して考えたとき、自堕落に生きられることは幸せなのかもしれない。そんな考えが少し浮かんだのです。

とは言え、家族や周りの人間からバカだと思われたくないですし、自堕落な暮らしがずっと続くわけがないこともわかっています。

でも、ここまでのバカじゃなくとも、ほんの少し、1割か2割程度でもいい、このくらい図太く(悪く言うとずうずうしく)生きられたら、言いたいことも言えないこんな世の中でも、もっと気軽にストレスなく生きられるのではないか…

そう思ってしまったのです。

優しい人、素直な人、正直な人、いわゆる「良い人」でいたい思いはもちろんあります。小さいころから教わってきた、そして自然と身についてきたことです。

しかし悔しいかな、正直者は馬鹿を見るなんて言葉もあり、良い人の方が苦労することが多いんじゃないか…と思ってしまうこともあります。乱暴に言ってしまうと、ちゃんとしている人が、ちゃんとしていない人を支えているんじゃないかと思っているところもあります。

だから、ほんの少しだけ、自分の欲をもっと出してもいいんじゃないかと。

気が利くことは素晴らしいけれど、それは他人のことが見えてしまう裏返しであり、ものすごく気を使っていることだと言えます。当然ながら、気を使えば疲れるしストレスも溜まるわけです。

世の中みんなが図太くずうずうしくなると、それはそれでやばい世界になってしまうけれど、少しだけ、ほんの少しだけ、こいつらのようになってもいいんじゃないか、そう思ってしまった一本でした。

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