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「小説に例えるの、好きだね?」

「小説に例えるの、好きだね?」


そう言われた事がある。それまでは自覚が全くなかったから気づきもしなかったけれど、たしかに僕はある出来事を、それまでに読んだことがある小説や漫画やアニメ、観たことがある映画、演劇、ドラマ、などに例えてしまう癖があるのかもしれない。


ベタな例だが、例えば自分にも理由や説明がつかない行動をしてしまったときに「うん、まあ『異邦人』にあったけど、そういうことがあるもんだよ」などと思うのだ。


そのことをわざわざ口に出して他人に向かって言うことはほとんどなかったのだけど、たまたまその人に対しては口に出してしまったのだった。そして一言。


「小説に例えるの、好きだね?」


それ以来、僕は何だか自分の行動原理のようなものにすこぶる自信がない。もともと自信はなかったのだけど、それがより一層に強化されたというのが正しい言い方のように思える。


つまり、その一言の奥には、僕にはこういう指摘が隠されているように感じられて仕方がないのだ。


「自分の考えはないの?」
「ここは創作の世界じゃない、現実だよ?」


Aという出来事が起こる。するとBやCという行動の選択肢が現れる。Bの選択肢は高校生の時に観たフランス映画のワンシーンみたいになるなあ、Cの場合は先週読んだ漫画のような展開になるのかもしれないなあ、さてさてどちらを選ぼうか。


そしてふと立ちどまる。「今、僕は現実を生きてるんだよな。作り物の中で使用されるような選択肢は現実世界の選択肢として本当に相応しいのかな。それは創作世界での常識であって本当は現実世界では選んじゃ駄目な選択肢なんじゃないかな。もしかして僕はいつも荒唐無稽な筋書きばかり夢見ていて、周りから笑われてる?」


その答えはまだ見つからない。それは一生かかっても見つからないし分からないと言ったり書いたりするのは、あまりにも簡単だ。


ちなみにこの文章を書いている作業も、僕にとっては(あるいは文章を書く人の大半がそうかもしれない)誰かの創作物の模倣であり、そのストーリーは頭に描かれている。


とは言うものの、これもロケット花火のようなものだろう。想像力に火がついて放たれるけれども宇宙に届くことはなく、瞬時に音も光も消えて、暗闇に溶け込んで何事もなかったように夜の一部となるのだ。

夢は詩のコンテストを主催することです。サポート頂けましたら運営資金に使用させて頂きます。優勝者の詩は例えば新聞広告の全面で発表する、などを夢見てます。ですが当面はインタビュー時のコーヒー代。謝礼等に使用させて頂きます。