おすすめnote詩「私の中の水」

全体は六連からなっている。

まずこの一文がとても好き。「私のからだは/誰にも見せたくない部分と水だけで/構成されている」すぐに思い出したのはヒトのカラダは70%くらいが水分だという話。そうか、残りの30%くらいは「見せたくない部分」なのかな、あ、ちがうな。ヒトのカラダは、見えている部分のどこら辺が水分で、どこら辺が本当は「見せたくない部分」なのだろう。面白いなあ。


それと「君の横顔は卒業文集みたいだ」。わからない、よくわからないけど好き。「~みたい」って通常は誰もが共感する喩えを使うから成立する文章なんだと思う。そこを崩す。私にはそう読める。いいなあ。何回もくり返し声に出すと、うん。卒業文集みたいなんだろうな。


「私が私ではなくなっていく」「自分自身を保っていく」「生まれ変わることができるかな」「私は私を充たして、同時に捨てていくだけ」、「私」と水分の状態との関係性が語られている。例えば、「私の中の水」をじょうろで水を取り替えると、私が生まれ変わるように。「私の中の水」の「水」とは、「私」のことなのだろうか。

「私はただ水をろ過するだけの/装置となる」この詩を読んだあと、私はどう変わっただろうか。「私」と言う、ろ過の装置は、この詩から何を掬いとっただろう。この詩は、何を掬い取られただろう。そんなことを感じました。

今日のメモ ↓

夢は詩のコンテストを主催することです。サポート頂けましたら運営資金に使用させて頂きます。優勝者の詩は例えば新聞広告の全面で発表する、などを夢見てます。ですが当面はインタビュー時のコーヒー代。謝礼等に使用させて頂きます。