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和歌から『とはずがたり』を読む 6

和歌11 大納言(著者の父)→後深草院

別れても三代の契りのありと聞けばなほ行く末を頼むばかりぞ
(意訳)我が君と今生の別れとなっても、君主には前世・今世・来世とお仕えするものだとききます。なのでこれから行く来世でもお仕え申し上げます。

◯著者が後深草院のことを受け入れた後、後深草院の父の後嵯峨院が病気のため崩御しました。著者の父の大納言は後嵯峨院への忠誠心が大変篤い人物で、後嵯峨院の死を受けて出家することを望みました。しかし、後深草院は許可を出さずにいました。

そんなこんなしている内に、大納言が病気にかかりました。著者は不安にかられている中、後深草院の子を身ごもったことがわかります。しかし、病気の父に言い出せません。すると父は、著者が身ごもったことに気づきます。ここで著者が父に孫というこの世への執着を与えてしまったたことを悔いているところが、当時の死生観を現していて興味深いです。

そしていよいよ危篤との報が著者に入り、急いで父のいる家に帰りました。しばらくすると後深草院が訪問してきました。(報が入る時、著者と一緒にいた訳ですが…)

夜が明け、帰ろうとした後深草院に対し、父は祖父の源通光太政大臣の琵琶と、後鳥羽院が太政大臣に下賜した太刀を献上しました。

その太刀には薄い紙を結びつけられていました。見ると、和歌11の和歌が書かれていました。

三代(みよ)は三世(みよ、さんぜ)ともいい、前世・今世・来世を意味する仏教用語です。来世を楽しみにするのも執着なのでしょうか。

太刀に結びつけるというのは大変粋なものですね。祖父と自身の忠誠心を重ね合わせたのかもしれません。

和歌12 後深草院→大納言

このたびは憂き世のほかにめぐりあはむ待つ暁の有明の空
(意訳)こんどは浄土で会おう。救済のため弥勒菩薩が現れる有明の空の下で。

◯和歌を受け取った後深草院は、邸内に帰りこの和歌を詠み送りました。
大納言は、差し上げたものを気に入っていただけたと喜びました。その様子を見ていた著者は「あはれにかなし」と感想を述べています。

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