見出し画像

”おまかせ”のタトゥー

スイカ坊や(1996年生まれ 埼玉県出身)

 沖縄本島中部、特に米軍基地周辺をドライブしていると、しばしばタトゥースタジオを目にする。白黒のコントラストや、鮮やかな色使い、米ヒップホップの名盤を彷彿とさせるレタリングなど各々の個性を感じさせる”Tattoo”の看板があると、私は思わず目を向けてしまう。

 同時に私は考えてしまう。
 タトゥーはアメリカでは普遍的なカルチャーだ。沖縄では在日米軍を中心にタトゥービジネスが発展してきたのだろう。
 沖縄県人にとっても、アメリカからの影響以外にハジチの歴史、公衆浴場に通う文化がなかったこと、素肌を見せる装いに適した気候であること、自営業の開業率が高く自由な装いを選びやすいことなど、タトゥーに興味を持つ要因が重層的にあるのではないか?と感じている。

 日本ではタトゥーへの偏見や忌避は根強いが、私は成人し、一人暮らしを始めたタイミングでタトゥーを2つ入れた。自分らしいイメージを自分が思い入れのある土地で刻みたいと思ったからである。自分でデザインし、波の模様と大切な友達のイニシャルを選んだ。そして私は、最近ことごとく不運が重なったタイミングで心機一転、大切な場所のひとつである沖縄で新しいタトゥーを入れることにした。

 私が沖縄を大切な場所と感じるきっかけは、学生時代に遡る。ハワイ大学に留学した際に、沖縄出身の先輩に繋げて頂いた縁があり、沖縄出身の友人や、沖縄系移民の子孫の方々と過ごした。帰国後は、琉球新報でインターン記者として沖縄で暮らす人々の声を聞きに行った。その日々は今でも私の中で言葉にしたい思いでいっぱいになるほど、意味のある経験になったのである。

 ネットであらゆるスタジオのホームページや口コミを慎重に吟味した結果、お祖父様が沖縄の商品パッケージやロゴマークを手がけ、ご本人も沖縄各地のウォールアートやデザイン制作で活躍しているという方に施術をお願いした。

 予約当日スタジオを訪れ、「タビビトノキを入れて欲しい」と、お伝えするとすぐに青鉛筆で素敵なデザインを提案頂き、下書きを身体に転写してもらった。沖縄でタトゥーを入れることが、新しい自分に生まれ変わることを表現しているようでとても興奮した。
 一応、不可逆的な施術であるため色使いについて確認すると、「彫りながら考えるさ」とのことで、かぶせ気味にタトゥーマシンの針先が動き出した。

 沖縄と都心では、度々顧客サービスのあるべき姿にギャップを感じる。東京ではマニュアルと客>店員の構図がある一方、沖縄ではフラットな人対人ベースで事が進む。
 例えば沖縄に数日いる間で、こんなことを体験した。レジで会計を頼むと目の前の店員さん同士がおしゃべりに夢中になっていたり、宿泊先のホストが迎えに来てくれるはずが音信不通になり自力で宿に行ったらホストは自室でくつろいでいたり。早朝に弁当を買うとき「あんたからは6万円さ。絞り取れる時に取るよ。」という物騒な声掛けを体験したこともある。

 何をどんな風に施すかを型にはめて捉えない。サービスを受ける側は、少しのことでせかせか、いらいら、ちくちくするのはまったく不粋であると悟る。そうやって相手をリスペクトしていくのである。
 沖縄で過ごすうちに、都心のオフィス街で硬直していた私の心は揉みほぐされ中性になっていく。その感覚がとても好きだ。

 しかし、タトゥーの仕上がりが見てのお楽しみになるとは思いもせず、驚きのあまり「アッ、じゃあお願いします。」の、ひとことで会話を終わらせてしまった。それから3時間、私は緊張と不安で沢山汗をかき、とても喉が渇いた。硬直。無言の空間で施術部分と反対に顔を向け、Kindleで「星の王子さま」を読んだ。針で肌を塗っていく感覚と少しの痛みが意識の大部分を占め、余裕を無くした私には「星の王子さま」の台詞の数々が急に支離滅裂に感じて苛立ちさえ覚えた。

 そうして完成したタトゥーは、細部まで生が宿ったような発色で完璧そのものだった。
 沖縄に来ると経験する、この感覚がやっぱりとても好きだ。

後日談。タトゥーのモチーフとして前述の通り「タビビトノキ」の写真を見せていた。しかし、「あなたの沖縄」メンバーに言われ完成したタトゥーをまじまじと見ると、それは「イトバショウ」にも似ていることに気づいた。沖縄・奄美では、イトバショウの葉の繊維を基に芭蕉布を織る文化がある。今回の沖縄滞在が奄美経由であった経緯も重なり、このセレンディピティから私は沖縄や奄美をもっと好きになった。タトゥーアーティストさん、あなたの沖縄のみなさん、素敵な気づきをありがとうございます。

トロピカルビーチにて


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?