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落ち着いた時間の中の落ち着かない時間

鼻黒犬(93年生まれ 大阪府出身)

 大阪出身の私は、一年半ほど前に沖縄へ移り住んだ。そして、昨年初めてうちなーんちゅである妻の実家のシーミーに参加した。その時はまだ入籍していなかったが、義父母は私もシーミーに参加させてくださった。
 詳しくない方向けに言うと、立春や夏至なども含まれるあの二十四節気の清明、4~5月頃に親族で大々的に行うお墓参りのことだ。ちゃんと漢字で書くと御清明祭(ウシーミーサイ)となる。

 妻の実家のお墓は宜野湾市普天間にある。沖縄では住宅街の中に突如お墓が現れることもよくあるが、そのお墓は道からすぐ見える所にはなく、茂みで隠れた階段を上った先にあった。

 お墓についたらまずはお手入れ。箒などでお墓の周りをきれいにする。酒を注ぎ、ご馳走を供え、線香を立ててうーとーとー(手を合わせてお祈り)。家庭によりいくらか流れが違うようだ。細かなルールもあるが、大まかな流れは内地の墓参りとあまり相違ない。先祖を尊ぶという点で目的が共通しているからか、文化が違っても基本的な流れは同じなのだなと思い、興味深く感じた。

 大きな違いはここから。先ほどお供えしたご馳走。重箱に詰めたものなのだが、シーミーではこの後、墓前でブルーシート等を敷き、酒を飲んだりお供えした重箱の中身を食すのだ。ご先祖様との会食の時間である。時々会話しながら静かに、ゆったりとした食事の時間を過ごした(家族によっては賑やかに過ごすこともあるだろう)。昔TVのバラエティ番組で、「沖縄ではお墓でピクニックをする!?」といった内容のものを見たことがあった。実際はピクニックではなかったが、「本当に食事などして良いのだろうか」と、お墓の前での会食にやや尻込みしつつ、観光するだけでは体験できないレアな場面に立ち会えた。

 沖縄の墓の形状は内地のそれとは違うことが多い。数代も前からのお墓であればだいたい家の形に見える破風墓か家形墓、もしくは亀の甲羅のような形の亀甲墓である。いずれも人が入れるほど大きな石室を伴う墓であり、内地のイメージと違いすぎて観光客にはぱっと見何のための石造物かわからないと思う。古墳ウォッチャーの私は過去に天皇陵等の大きな墓をいくつも見てきたのだが、初めて沖縄に来た時は、庶民の一族単位でこれほどの規模の墓がいくつもあり、一般的であることを知って驚いた。それくらい大きな空間だからこそ、ピクニックと見まごう会食が行えるのだ。

 食べ終わったらウチカビ(あの世の金。スーパーで買える。)をお供物の一部と共に燃やして、あの世のご先祖様のもとへと送る。ただ、あの世との為替レートは個人によって認識がまちまちなようで、一万円だとか百万円だとか言っている人もいて非常に面白い。私なら、どうせなので1枚100億円程度にしてほしいと思ったりした。あの世に行ってまでお金の心配などしたくはない。沖縄なら子孫が送ってくれるので安心だと思った。
 
 シーミーは親族の大事なイベント。墓前で食事を取ることの慣れなさを感じつつも、家族として受け入れてもらえたことに安堵した。

 この落ち着いたシーミーの最中、沖縄に来て初めて実感したことがあった。頭上を飛ぶ米軍機の騒音だ。普段、米軍基地の近くに住んでいるが、補給基地であるためか飛んでるのはオスプレイ等が多く、正直普通に暮らしていれば殆ど気にならない。新幹線周辺で聞く音の方がうるさいし、なんなら沖縄島を南北に縦断する国道58号線を毎晩深夜であってもバイクをブンブンならして走るやつらの方が圧倒的にうるさい。

 しかし、普天間は違った。内地で報道を見て知識としては知ってはいた、軍機が飛んでいる間の会話し難いほどの騒音。その間我々はただ空を見上げ、それが通り過ぎるのを黙って眺めていた。
 報道でも騒音被害の話は見聞きするものの、気にならない程度に抑えた音量で騒音が流されていたのだろう。いざ現地で聞くと実際想像していたよりもやかましいと率直に感じた。私個人としては国の安全保障としての機能があると認識している基地だが、普天間基地の周辺は住宅も多く、このあたりに住んでいる人々はこの騒音の中でどのように過ごしているのだろうと想いを巡らせた。防音ガラス等の対策をしていなければ相当に暮らしにくいのではないだろうかと思った。近くには病院もあり、患者さんも迷惑に思っているだろう。ご先祖様も落ち着いていられないだろうなとも思った。

 この体験をした時点で沖縄で暮らして半年以上が経過していたが、戦闘機等がある基地周辺で時を過ごさなければわからない問題を実感した。沖縄の落ち着いた儀礼の時間と落ち着かない騒音の時間。その両方を同時に初体験した、貴重な一日だった。

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