火災から2年経った首里城と街の風景
西由良(94年生まれ 那覇市首里出身)
首里城火災から2年経った、首里の街と首里城の今の姿の記録です。
2021年10月30日、午後14時過ぎ。土曜日だが、首里駅周辺は車も人もまばらだった。国際通りなどの那覇の街は観光客の姿も多く、人手が戻ってきている印象だが、まだその波は首里の街まで来ていなさそう。
龍潭通り。首里支所の前は地元の人が多く行き来している。次の日に控えた衆議院総選挙の期日前投票に来ている人も多いようだった。
普段通りなら、この龍潭通りは11月3日の文化の日に合わせて開催される、首里文化祭(正式名称は琉球王朝祭りだがこっちの方が地元の人になじみがある)のちょうちんが電柱に下がり、街もワクワク感に包まれているので少し寂しく思う。去年に引き続き、古式行列はあるようだが、2018年に悪天候で中止されてから、もう4年連続で普段通りの首里文化祭は行われていない。
中城御殿跡。2007年に移転されるまでは、ここに県立博物館があった。去年はここで首里の青年会が旗頭をあげていたが、今年はやるのかなぁ。あの旗頭の鉦の音を聞くと、祭りの気分を思い出す。
龍潭池。正しくは龍潭らしい。なんでかわからないけど、子どもの時からずっと龍潭池と呼んでいる。首里城の有料区域に設置された仮設見学デッキが見える。
バリケンたちも元気そう。チャッピーもいたりして…
城西小学校の門の横の坂道を上がって行くと、守礼の門に続いている。あの火災の時、一番近くの小学校に通う子たちは何を思ったのだろうか。
守礼の門はいつも堂々としている。写真撮影している観光客の姿も多くなってきた。
守礼の門を通り抜けると、歓会門が見えてくる。火災の影響はなかったのでここはいつも通りな感じ。
左手には、園比屋武御嶽。御嶽に生えた草を刈るために、作業員の方が脚立を立てていた。御願みをしている地元の方たちをよく見かける場所。琉球王朝時代には、航海の際などに祈っていたらしい。旅の無事を祈るときに御願む場所と父が言っていた。私が東京に旅立つときもほとんど毎回来ている。大切な御嶽だ。ここまで火が来なくて本当に良かった。
歓会門。
塗料を塗りなおしてピカピカの瑞泉門。
漏刻門は塗り直し中。
首里森御嶽の左手には、火災を耐えた大龍柱が展示されている。火災の後の映像で、黒い炭や瓦礫の映像の中でこの龍柱だけは建っていたのを思い出す。
奉神門をくぐって、有料エリアへ進むと仮設見学デッキが設置されている。
おととし、昨年と訪れた時には、まだ、黒い袋に瓦礫が詰められ、火災の生々しさが残っていた。2年経った今は工事の準備が進んでいて、再建に向けて動き出しているのを感じる。
仮設見学デッキには、再建までの工事の様子を伝える絵が描かれている。
正殿があった場所から見た風景。木材や部分がたくさん置かれていた。2000年には、この首里城でサミットの夕食会があったのだと思うと不思議な感じ。
火災で壊れてしまった瓦や龍の破片も展示されている。
2021年10月30日(土)~2021年11月3日の期間、首里城復興祭りが開かれていて、ちょうど国王・王妃出御が見られた。
東のアザナからの風景。晴れていたので、写真の中央、奥の方には慶良間諸島の渡嘉敷島も見える。正殿が再建されるとまた違う景色が広がるだろう。歴史の中で、これまでも何度か失われてきた首里城。失ったものを取り戻すとは私たちにとってどういうことなのか。ずっと考えている2年間だった。変わっていく街の風景を思う。
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