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ホッパーの思い出 〜懐かしのコンビニ〜

「西原小学校の近くに”ポケット”というコンビニがあった。」

 次のコラムの打ち合わせをしている時に、執筆者のさまよう蟹さんが何気なくつぶやいた。詳しく話を聞いてみると、日用品を買い足したり子どもたちが買い食いしたりする地域密着型のコンビニだったようだ。また、さまよう蟹さんが聞いた話では、沖縄県内で有名なスーパー「かねひで」を運営する金秀商事が母体だったというが、本当だろうか?(情報求む!)

 その一言から、沖縄のコンビニ・小売店事情について書いたら面白いんじゃないかと話が盛り上がった。「あなたの沖縄」のチャットに呼びかけたところ、数人からさまざまな思い出が寄せられた。今回のコラムは、かつて沖縄県内にもたくさんあったホッパーこと「ホットスパー」について。

 いまは、ファミリーマートが沖縄県内でいちばん良く使われているコンビニだ。90年代生まれの私たちの世代も、学校帰りに買い食いするなら断然ファミマ派の方が多かったんじゃないだろうか(ローソン派の方、ごめんなさい!)。

 しかし、今はなき「ホッパー」にも思い出があり、思い入れが強い人もきっといるはず。今回は、そんな2人の執筆者の思い出を投稿します!

ホットスパーとオニコロと

豊島鉄博(94年生まれ、那覇市小禄出身)

 物心ついて、一番最初に行ったコンビニはどこかーー。自分のおぼろげな記憶をたどると、今はなき「ホットスパー」(通称ホッパー)だったと思う。

 確か那覇市赤嶺のほうにもあったし、より印象に残っているのは、通っていた小学校近くにある那覇西高校前のホッパーだ。ジューシーおにぎりとコロッケがセットになった「オニコロ」を初めて食べたのはホッパーだった気がする。

 このコラムを書くにあたって初めて知ったが、沖縄で初めてのコンビニはホッパーだったそうだ。琉球新報の記事によると1986年8月、那覇市与儀にできたホットスパー1号店が、沖縄初コンビニという。2007年からホッパーはココストアになり、その後ココストアも2015年、ファミリーマートに買収された。

 那覇西高前にあったホッパーも、私が中学生だった頃にココストアになり、その後いつの間にかファミマに代わっていたことを思い出す。

 ちなみに最近、沖縄ファミマで昔ホッパーで売られていたハンバーガーが復帰50周年記念で復活して話題になっていたのは、両者につながりがあったことを実感させられる出来事のひとつだ。

 ホッパーの店の前にはよくヤンキーがたまっていて入りづらかったことも覚えている。夜、あの赤い看板が光ってるなかで、ウンコ座りしてる兄ちゃんたち、怖かったなぁ。最近のコンビニではそういう光景もあまり見なくなったような。
 これは余談だが、沖縄には2019年までセブンイレブンがなかったため「県外に行ってセブンを初めて見て、テンション上がりがち」な子が多かった。中2の修学旅行で九州を訪れた際、同級生たちが意味もなくセブンで買い物してたし、かくいう私もレシートをしばらく持っていた。

 それが今やセブンは沖縄にもすっかり定着。那覇西前にあるファミマ(元ホッパー跡地)から約100メートル先にもある。時代は着々と変わっていく。それでもホッパーよ、その少しジャンキーな雰囲気は今も忘れません(そしてココストアの自家製パンの美味しさも)。

針葉樹林の国から

さまよう蟹(94年生まれ 西原町出身)

 ホッパーことホットスパーとの出会いは確か2000年頃の西原町であった。家の近くにコンビニができて、それがたまたまホッパーだった。

 ホッパーにはいつも涼みに行っていた。灼熱の国道329号線を通って下校してきたときや、スイミングスクールの帰りなど、亜熱帯の気候から逃れるために……。ホッパーはそんな風に私の生活に馴染んでいた。たまに母が日配品を買うときに一緒に訪れることもあった。

 ホッパーのマークも好きだった。針葉樹林のモチーフは、沖縄ではないどこか雪の降る場所から来たお店であることを幼心にも感じさせるようなものだったし、緑と赤のコントラストは遠くから見てもすぐわかるほど目立っていた。

 そのうち、最寄りのホッパーはいつの間にか姿を消し、他のコンビニになっていた。いつの事だか思い出せないが、他の街にあるホッパーも知らないうちになくなってしまっていた。どうやら沖縄から撤退したようだった。

 ホッパーの事も忘れ、大学進学を機に沖縄を離れて過ごしていた2016年。私は短期留学でイタリアの隣国・スロベニアを訪れていた。首都・リュブリャナの繁華街は個人の飲食店やブランドの路面店で賑わっていて、そこで私はいつも謎の麺料理を買って食べていた。ある日、毎日麺ばっかり食べるのもアレだな…と、大通りを散策して別の店を探すことにした。

 しばらく通りを歩いていると、見慣れた色味に気づいた。赤と緑の組み合わせ、そして"HOT SPAR"の文字。ホッパー、こんなところにいたのね! あまりに驚いたもんで、県外出身の同行者に「ホッパーある! ホッパー知ってる? 懐かしい!」と興奮気味に言ったが、ピンとこない顔をしていた。沖縄から姿を消したホッパーはミニスーパー的な業態で、針葉樹林が生えていそうな国に存在していた。

 今回扉絵をお願いした私の妹から、フランスにもホッパーがある、との口コミを寄せてくれた。今でも針葉樹林の国を中心に存在してるのかもしれない。
 亜熱帯で出会ったあの赤と緑が恋しくなったら、皆さんも針葉樹林の国を訪れてみてほしい。きっと、あの頃の思い出と共にホッパーに会えるはずだから…。

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