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もうひとつの祖父の名前

西由良(94年生まれ 那覇市首里出身)
 
 祖父には、2つの名前があった。ひとつは「孝男」。もう一つは、祖父の子どもである父や叔母ですら知らなかった名前。その名前は、祖父が亡くなって30年以上も経ってから発見された。私が祖父のもう一つの名前を知ったのは、今年の旧盆の初日、ウンケーの日だった。
 
 社会人になって、5年。私は、旧盆の時期をほとんど東京で過ごしていたが、今年は、沖縄で過ごすことができた。久々に味わえる旧盆の雰囲気を楽しみにしていたが、コロナ禍で親戚の集まりもなく、街は静かだった。ウンケーの日、開南にある祖母の家へ向かう途中に見た那覇の街は、観光客の多さが印象的だった。

 16時半。祖母の家に着くと、叔母と祖母が迎えてくれた。久しぶりに会う祖母に声をかけると、祖母はキョトンとした顔でこちらを見返し、私に向かってペコっと頭を下げた。認知症が進んでいる祖母は、もう私のことは分からないようだ。お土産を渡し、まずは、トートーメーに手を合わせる。うちではいつも、18時ごろにウンケー(先祖のお迎え)をするので、ウヤファーフジ(ご先祖様)はまだ来ていないだろう。そんなことを考えながら、仏壇のそばに飾ってある慶留間島出身の祖父、大叔母、曽祖父母の写真を見ていた。50代の頃に亡くなったという祖父の写真は、おじいちゃんというよりおじさんのようだ。会ったことのない祖父の顔をまじまじと見ると、目がぱっちりしていて眉毛が濃いので、私は妙に嬉しくなった。私と同じ目元をしている。しばらくぼーっと写真を眺めていると、叔母が一冊のアルバムを渡してくれた。
 
「これ、見てごらん。」
 
 叔母が綺麗に整理したアルバムには、手書きの家系図が入っていた。会ったことのない親戚の名前がずらりと書いてある。親戚同士の繋がりを表す矢印がぐにゃぐにゃと引かれ頭が混乱してくる。見ても、さっぱりわからないが、なんだか親戚が多そうなことだけは確かだ。アルバムをめくると、親戚たちの若い頃の写真が載っていた。結婚式の写真や、仏壇行事の写真、裸足の子どもたちの写真。写真には人がたくさん写っていて、昔の島の賑やかさが伝わってくる。楽しんで見ていると、叔母がある写真を見てほしいと言う。制服を着た子どもが2人で映っている白黒写真だった。叔母は、その写真を指差し、話を続けた。

アルバムの写真


 「この男の子誰かね〜、親戚の話にも【米博】って名前は出てこないし、
 (自分の父の)従兄弟か友達かね〜って思っていたんだけど。」
 
 叔母は、ぱっちりした目をさらに大きく開いて、こう言った。
 
「うちの父親だったわけ。
 親戚のおばあさんに聞いてみたら、『あんたなんかのお父さんよー』って。」
 
 話を聞くと、叔母もつい最近知ったという。実は、沖縄では、沖縄戦後に名前を変えた人が結構いる。戦争で戸籍が燃えて無くなってしまったからだ。戦後、新たに戸籍を作る際に名前を変えて登録したのだ。名前を変えた理由は、人それぞれだ。あの沖縄戦の辛い記憶を思い出したくないという人や、心機一転、新しい人生を歩みたいという気持ちで変えた人もいると聞く。私も、名前を変えた人たちがいることは知っていた。しかし、自分の祖父もそうだったとは。かなり驚いたが、叔母の衝撃はどれほどだったろう。父も、叔母も、家族の誰も、祖父が名前を変えていたのを全く知らなかったのだ。アルバムの整理をしていた叔母によって、亡くなって30年以上も経ってから「米博」はたまたま発見された。何か知っているかもしれないと、叔母が親戚に聞いてみたところ、「孝男」という名前は、どうやら、お世話になった日本兵の名前から取ったらしい。しかし、それ以上のことは何もわからなかった。
 
 生きている間も、戦争のことを語らなかったという祖父。戦争当時は15歳だった。戦時中、祖父が暮らしていた慶留間島では、島民達が日本軍の壕を掘る作業や、日本兵の食事の世話など、様々な雑務を行っていた。軍と島民はかなり近い距離で生活していたのだ。島民は、こうした生活の中で、日常的に「米軍に捕まれば男は八つ裂きにされ、女は強姦されて殺される」という話を聞かされていた。その結果、慶留間島を含む慶良間諸島では、「集団自決」が起こった。私の祖父も祖母も、どちらもその「集団自決」の生き残りだ。祖父はどんなことを思って、名前を変えたのだろうか。私の父の名前は「和博」なのだが、これは祖父の元々の名前の「米博」から取られたのだろうか。祖母は、それを知っていたのだろうか。数年前なら、昔の話はよく覚えていた祖母に話を聞くことができたかもしれない。私はアルバムを閉じて、祖母の顔を見つめた。近くに寄って、祖母が好きだった歌を口ずさんでみると、メロディーを口ずさみながら私の手を握ってくれた。
 
 祖母の肩越しに、祖父の写真が見える。濃い眉毛に優しい瞳。祖母と私を見守っているようだ。夕方のニュースが18時を知らせる。あぁ、もうすぐ帰ってくるね。おばあちゃんと一緒に歌いながら待ってるね。
 

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