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なんくる実〜

夕月(99年生まれ 東京都出身)

 山梨県の喫茶店で働いていた私は、経営の都合で急に仕事がなくなることになった。今年の1月の話。
 人生の決断のタイミングはあまりにも突然やってきた。

 私は、東京生まれの23歳。美術の短大で2年学んだ後、東京のデザイン事務所に就職した。2年後会社が山梨県で喫茶店経営することになり、東京の実家との二拠点で1年半ほど過ごした。

 急に無職になり、困った私は急いで就活をした。得意なイラストを生かしたり、旅が好きなことなど、自分のキャラを生かしながら仕事がしたいと思った。
 東京でなくてもよかった。

 そんななか、山梨で知った「地域おこし協力隊」という制度を思い出した。都心に在住している若者を過疎や高齢化の進行が著しい地方に呼び、地域協力活動を行い、定住・定着を図る制度だ。得意のイラストや、前職で学んだデザインのスキルが活かせ、且つ、行きたい地域を選べる。

 私は沖縄を選んだ。

 観光のPRの枠を発見し、すぐさまこれまで描き溜めていた沖縄旅行の絵日記をポートフォリオにして送った。

 沖縄。
 血縁的なルーツは無いけれど、お母さんが沖縄好きで小さい頃から旅行によく連れて行ってくれた。我が家の玄関には私と同い年の大きなシーサーがいる。思い返すと、幼稚園の時から仲良くなる友達が沖縄ルーツの子が多い。
 なぜか、だけど、なんか、縁のある場所。

 そして何より私は沖縄が好きである。この人と気が合いそうだな、とまだ出逢ったばかりの人に思うのと似た感覚。根拠は無いけど多分、私たち気が合うよね、とアイコンタクトを送り合う感覚を沖縄には感じる。

 大学時代は、沖縄によく旅行に行った。幼馴染たちと、または1人で、1〜2週間の割と長めのスパンで何度か遊びに行った。

 車の免許を取り、行動範囲がぐっと広がった私たちは、本当にどこまでもいける気がした。

 魚と泳ぎ、潮と砂でベタベタなまま車に乗り込む。疲れたらまた海で休んで夕陽を見送り、みんなでたくさん歌を歌った。自由で、時間があって、ゼリーみたいに透明な海。太陽は本気で降り注ぎ、容赦無く私たちの肌を焼いた。ご飯はあまりにも美味しく、成分を疑いたくなるようなエンダーのオレンジジュースは嘘みたいな本当の味がして、夜のブルーシールのネオンは本当にキラキラ輝いていて、とにかくあの時の沖縄はどこよりも魅力的な場所で、とにかく時間が足りなかった。

 多くの旅行客が思うように、漠然といつかこんなとこに住めたら天国だなあ、帰りたくないなあと、私も思っていた。

 これは5年も前の話。無性に沖縄に恋心を抱き、ずっと恋しかった。

 今私は、沖縄でこの文章を書いている。

 引っ越して2ヶ月が経つ。ひとりぼっちで遠く離れた沖縄に引っ越すことに関して、不思議と不安はなかった。今日まで、一度も悲しい気持ちになっていない。ここにいるという現実が、たまにおかしくて嬉しくて笑ってしまう。

 昨日、同僚の同い年の女の子に「なんくるみー」という言葉を教えてもらった。「なんくる」=「自然と」、 「みー」=「実る」を合わせた言葉。
 鳥が大地にフンをして、そこから生えてきた植物が育ったり、植えた覚えのないものが芽生えて育つことを指すらしい。それに名前をつける昔の沖縄の人の感性にキュンとくる。

 それを聞いて、ああ私、なんくるみーみたいだなあと思って納得した。ピンチになって、パッと思いついて、1ヶ月で準備して、なんとなくの自分の直感でふわっと沖縄に上陸してきたわけだけど。なんだか毎日とってもしっくりきてる。やっぱり、なんとなく気が合う気がして、1人親友が増えたような感覚。

 相変わらず、沖縄の太陽はとっても眩しい。
 これからここで、ぐんぐん根を張り、気ままに育てていきたい。

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