「ナイチャー」と結婚して

ハルサーの孫(92年生まれ 那覇市首里出身)

 私は、福岡の大学で知り合った大分県出身の彼女と、就職して2年後、結婚した。
 結婚当時、どちらも福岡で仕事をしていて、子どもができたとき、夫婦で仕事や子育てのことを話し合って、どちらかの地元に引っ越すことにした。

 私は、一度、県外に出たいと思い、福岡の大学に進学したが、ずっと県外に住み続ける気はなく、いずれ沖縄に帰ることを考えていた。妻は、沖縄に戻りたいという私の希望を受入れ、里帰り出産を経て、家族3人での沖縄生活が始まった。

 妻は、沖縄に来て、日本人ということを意識しだしたと言う。妻は大分県で生まれ育ったが、祖父母は愛媛や長野から移り住んできたので、ルーツは日本全国にある。妻は、大分県民というよりは日本人という大きなくくりで自分のアイデンティティを持っていた。
 妻が、日本人ということを強く意識した理由のひとつに、沖縄県民が、日本人である前に、「ウチナーンチュ」であるという意識が強いと感じたからだそうだ。そして、「ウチナーンチュ」は、県外出身者を区別するように感じ、疑問を感じていた。

 同じ日本人なのに、移住しても、いつまでも「ナイチャー」は「ナイチャー」と言う。沖縄県外の出身者をずっと「ナイチャー」と言うことに違和感を抱いていた妻と、何度も同じ話をした。

 「ウチナーンチュ」、「ナイチャー」という違いより、個人によって、性格や考え方、育ってきた環境の違いがあるのは当然だ。それでも、沖縄と県外では歴史や文化が大きく違い、共通認識が違う。移住する人は、その県外との違いに惹かれて住む人が多いが、疎外感を感じる人も多いのではないかと思う。

 沖縄で生まれ育ち、県外で住んだことのない人は、意識せずに、「ナイチャー」という言葉を使う。沖縄で生まれ育った人が、県外から沖縄に移り住んだ人の背景を意識せず、「ナイチャー」という言葉を使い、県外出身者に疎外感を与えることは、変えていかなければならない。どういう違いから私たちは「ナイチャー」という言葉を使っているのか。「ウチナーンチュ」と「ナイチャー」を区別するとき、一人ひとりがその意味を自分なりに説明できるといいなと思う。

 妻は、沖縄を知るため沖縄に関する本を読み、福祉の仕事で様々な沖縄の人と出会って、また、時々、私と言い合って、沖縄を知っていった。

 例えば、近くにある米軍基地や住宅の上空を飛ぶ戦闘機のこと。私たちの世代では、地元に基地がある人たちからすると、基地があるのが日常で、だけど、戦前の話や、戦争の話も聞いて育つ。その地域以外から来た人にとっては、今ある基地の問題しか見えない。それだと、基地のない場所に住めばいいじゃないかと考える。その地域に住まなければわからない、ずっと住んできた人に聞かなければわからないことはたくさんあって、その積み重ねが、「ウチナーンチュ」と「ナイチャー」の違いになるのかもしれない。その地域に住んで、その地域で生活してきた人と話すことで、歴史や背景を知識としてだけでなく、実感を持って当事者となっていくのだと思う。

 妻が移住して4年が経ち、言い合うこともなくなった。お互いの違いをそのまま認めて生活していくこともできる。だけど、私も妻も話し合い、改めてお互いの育ってきた地域の違いを知り、沖縄の歴史を通してアイデンティティを考えることで、自然と共通認識を持つことが増えてきた。
 誰でも生まれた地域や育ってきた地域による違いがある。沖縄県内だって、離島と本島でも全然違うし、南部、中部、北部でも、全然違う文化や歴史がある。

 子どもは、大分県も沖縄県も、そして、県内でも自分たちが住んでいる地域のことを知って、違ってもいいのだと、違うからいいのだということを言えるようになってほしい。

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