見出し画像

私は「悩める若者」だったのか? 前編

 こんちは。私のnoteなんですが、前々回と前の投稿からだいぶ間が空いておりまして、その間に私は大学生から社会人へと進化しました。
 仕事はシフト制なので、土日休みとはなかなかいきませんが、平日の人気が若干少ない街に出て、散歩できることはなかなか気に入っています(現にこの文章を書いているのも平日の昼間のコーヒーショップです)。

 今までのnoteでは音楽やサウナのことについて書いてきましたが、今回は前回の投稿から今の間に私に起こったことを書いていきたいと思います。
 なぜ、突然そのように趣向を変えてみたいと思ったのかと言うと、仕事を始めて、研修などを受けて行く上で、人の悩みに触れたり、見たりしたことで、以前の私について考えることが多くなり、一度自身で大好きな文章を使い、振り返ってみたい、と考えたためです。

 長くなってしまうかもしれないし、みなさんが面白いと感じるものとも思いませんが、良かったら読んでいってください。

 3月の日々は私にとって、色を失ったような毎日だった。
 朝はただただ苦痛で、退屈な1日が始まるということを、本来爽やかであるはずの朝日が、これでもかというほど予感させた。
 それに加え、やっと起き上がることができたとしても、吐き気で朝食を食べることができない。また、激しい運動をした後かのような動悸も同時に起こっていた。
 昼になると、その吐き気は少し収まる。しかし、常に頭の中は薄い霧のようなものがかかっており、何かやることがあって机の前に座っても、なかなか作業は進まない。考えをまとめることができないのだ。
 それでも、調子の良い日は少しだけ、作業を進めることができた。逆に調子の悪い日はというと、ただ机にうなだれて、数十分、一時間と過ぎる場合もあった。
 夕方はまた朝の時のような吐き気と動悸が訪れ、やっときた夜はとにかく長かった。自室に篭り、テレビやケータイをただ眺めながら1日が終わるのを待った。
 寝付くまでにも時間がかかり、大抵眠るまでに二時間ほどかかってしまう。その際、部屋に何も音がない状態だとすぐに考え事をしてしまい、寝付くまでにさらに時間がかかる。それを防ぐため、ケータイでラジオや動画を小さい音で流しておくことで、無理やり考え事をしないように務めた。

 以前は好きだった音楽や小説にも集中できなくなり、触れないことも多くなっていた。また、毎日弾いていたギターも、手にすら取らない日も多く出てきた。そんなことは音楽を始めた11歳のとき以来、初めてのことだった。

 私がそのような状態に陥ったことには、いくつかの理由が考えられた。
 大学を卒業するまでひと月を切ったにも関わらず、未だに就職活動を続けているという焦りであったり、家族とのちょっとしたトラブルの積み重ねであったり。その他にも個人的な要因が二、三個考えられた。コロナで外出の機会が全くなくなったことも、その内の一つかもしれない。

 思えば、今までの私は挫折と言えるような経験を一つも経てこなかったように思う。
 部活動は殆どやってこなかったし、アルバイトも特に厳しい職場ではなかった。大学時代にやっていたバンドはうまくいっているとは言い難かったけれど、その状態も「青春の一場面」として酔うことができていた。
 そんな苦労とは無縁な人生を送ってきた私が、大学四年生になり就職活動という、初めて自分で全てを決め、考え、行動することに他人から評価を下される状況に身を置くこととなった。
 今まで挫折を経験してこなかった私は、就職活動も楽観的に捉えていて、継続して活動していればいつか必ず納得のできる内定がもらえる、と信じていた。
 しかし、私はもともと地道な努力をすることや、理路整然と話すことが苦手な性格である上、前述の通り、今までにこれといった人生の大きなイベントもなかった。
 もちろん、そのような状態で就職活動に挑み、知ることができたのは、自分という存在の小ささと現実の厳しさだった。
 また、コロナという社会の大きな変化も訪れ、ライフワークだったバンドも失った。そうなって初めて、バンドに「最終的な逃げ道」という浅はかな気持ちを抱いていたことに気がついた。就職活動がうまくいかなければ、バンド活動に専念しよう、という考えだ。 
 このように私は私自身で作った甘い世界に絶望し、バンドという「逃げ道」も絶たれ、私の気持ちはどんどん痩せていった。

 そんなある日、利用していた就活エージェントの紹介で、ある企業のWEB面接に参加することになった。その企業は私が就活始まった当初に目指していた業種で求人を出していたため、私は気合いをかなり入れた状態でその面接に挑んだ。

 しかし、その面接の結果は惨敗だった。その当時は質問に答えることに必死だったが、今思い返せば、その面接はいわゆる圧迫面接のような部分もあったのではないかと思う(もちろん自分の準備・理解不足が一番の原因なのですが)。
 他社の同じ業種の面接で話してウケが良かったエピソードを話しても、面接官は首をひねるばかりで、あまり関心を持たせることができなかった。また、そうなった際に焦ってしまい、その次の質問になかなか答えられないでいると、相手がボールペンでデスクをコンコンと叩く音が聞こえ、さらに私の焦りに拍車をかけた。

 そんな状況が終始続いた面接が終わった瞬間、私はいつの間にか涙を流していた。そこからは頭が真っ白になり、涙の量は次第に増え、号泣するにまで至った。
 面接が終わった午後七時から約一時間、暗くなった自室で私はひたすら泣いた。何も考えられなくなり、面接の時から着替えずにいた白いワイシャツの襟についた涙が冷たくなるまで、私は泣き続けた。
 普段悲しいことがあっても、感動しても滅多に涙を流さない私にとって、これは明らかに普通のことではなかった。そんな状況に自分自身でも驚いていたように思う。


後編に続く


この記事が参加している募集

#思い出の曲

11,292件

#振り返りnote

84,890件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?