【新曲発売記念!】ビートルズが出てこない、「ビートルズ特集」。
まあ、なんですなぁ。
今回は、ビートルズのジョンとポールが、他のグループや歌手に提供した楽曲をご紹介しよう、という企画でございます。
全曲、ポップスとして「超名曲」ばかりなので、心からお楽しみくださいませ。
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◉ピーター&ゴードン「愛なき世界」(A World Without Love)https://www.youtube.com/watch?v=Tdx6lLvvRyg
この曲は有名ですよね。
ホントに名曲。失恋ソングの定番にしたい。
1964年にピーター&ゴードン名義で発表された曲です。作詞・作曲はポールマッカートニー。ポールが、ピーターの妹、ジェーンアッシャーと交際をしていた縁で提供された曲です。英米で1位を獲得しています。
で、ポールは、彼らの3枚目のシングルも書いています。
もちろん、ピーターの妹さんのお願いです。
なにげにスケベなポール。
でも、これも、いい曲ですよ。
◉ピーター&ゴードン「I don't Want to See You Again」(1964年)
⇑ ♬ ブロ〜ケン ハ〜デ〜 ♬ というとこが、キモでしょうね。
(「ブロークン・ハートエイク」と歌っているのかしらん?)
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◉ローリング・ストーンズ「I Wanna Be Your Man」
ビートルズが他のミュージシャンに提供した楽曲としては、これが最も有名でしょうね。
ビートルズの元広報担当だった19歳のアンドリュー・オールダム(フィル・スペクターを尊敬していた彼は、ストーンズのアルバムで、スペクターにマラカスを振らせたのが有名な話)は、彼が管理していた新人であるローリングストーンズのシングル曲が欲しいとポールに語りました。
彼らは、チャック・ベリーの「カム・オン」をカヴァーしたシングルを1963年6月7日にリリースし、UKチャートで21位にランクインし、デビューを飾ることができました。
しかし、その後は鳴かず飛ばずで、ヒットするシングル曲を喉から手が出るほど欲しかったのです。
当時、ミック・ジャガーとキース・リチャーズは、まだ自分たちのオリジナル曲を作っていませんでした。
ポールがこの話を聞いた時点では、まだ「I Wanna Be Your Man」のコーラス部分しかできていませんでした。
ジョンとポールは、ストーンズとスタジオでレコーディングしていた彼らに合流し、20分で彼らのために作りかけの曲を完成させました。
自分たちの目の前で、ジョンとポールが曲をみるみる完成させていく様子を見せつけられたミックとキースの二人は大いに刺激を受け、自分たちもコンビで曲を作ろうと決意したのです。
そして、彼ら自身のレコードとは別に、1963年から1964年にかけて他のアーティストのために19以上の曲を書きました。
ストーンズのヴァージョンは1963年11月1日に発売され、UKチャート12位を獲得し、彼らにとって最初のトップ20入りを果たしたヒット曲になりました。
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◉The Strangers with Mike Shannon「One and one is two」
1965年にマイク・シャノン&ストレンジャーズによって発表されたレノンマッカートニーソングです。ポールマッカートニーによって書かれた曲です。いろいろ調べましたが、あまり情報がありません。セールス的にもイマイチだったと思われます。
後にジョンレノンがこの曲について語っています。「ポールの駄作のひとつ」だと。
私はいい曲だと思うのですが。
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◉Billy J. Kramer & The Dakotas「Bad To Me」 (1963)
これは、かなりの名曲ですよ!
ポップスのお手本みたいな、よくできた曲。
ジョン・レノンの作品です。
1963年にビリー・J・クレイマー&ダコタスによって発表されました。曲はジョンによるもので、イギリスで1位、そしてアメリカ9位を記録しています。
ビートルズによるデモバージョンを『The Beatles Bootleg Recording』で聞くことができます。デモながら良い仕上がり具合です。一聴の価値ありです。
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◉フォーモスト「Hello Little Girl」
リバプール出身のフォーモストのデビュー曲として1963年にリリースされました。
イギリスで9位を記録したようです。ジョンレノン作です。
16歳のころのジョンが初めて作った曲です。
『アンソロージ1』でも聞くことができますね。
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◉シラ・ブラック「Love Of The Loved」
作曲はポール。
1963年9月27日にシラ・ブラックは、デッカレコードから「Love of the Loved」をリリースしました。
彼女は、下積み時代のビートルズが演奏していたリヴァプールのキャヴァーン・クラブで客のコートを預かる仕事をしていました。
やがて彼女は、ブライアンがマネジメントする唯一の女性ミュージシャンになりました。
当時アメリカで流行っていた「ガールグループ」「ガールポップス」のなかでも、テンポの良い佳曲だと思います。
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ユーミンが自分のアルバムづくりやコンサートの準備をしながら、松田聖子や三木聖子に楽曲提供していたように、ジョンとポールも多くの曲を他のアーティストに提供していたのですね。
⇑ 最後に、私がビートルズで一番スキな曲、ジョン作曲の「Not A Second Time」。彼女にふられた男の子が、
「サヨナラしてもいいんだぜ。おれはね。だけど、もう一度オレのところに帰ってきて、『あなたとやり直したいの』なんて言っても耳は貸さないからね。二度目はないんだ。一度別れたら、二度目なんてないんだからね」
という男の子の強がりがテーマの曲。
あ、このモチーフって、大滝詠一師匠の「恋するカレン」ににていなくもないかしらん。松本隆さん、この曲を参考にした?
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