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東南アジア陸路縛り旅④アンコール・ワット編


シェムリアップで出会う

旅人の街だけあってここシェムリアップにはいくつもゲストハウスがあり、中には日本人オーナーの経営する宿まであるという。もちろんそういう宿には日本人のバックパッカーが集まるので、旅人同士、更には同じ日本人同士で情報交換したり親交を深めたりするのだそうだ。

私はと言うと、せっかく異国の地にありながら何でわざわざ日本人と交流せねばならんのだという思想の持主であるので、そういう宿には意識して泊まらないことにしている。今回泊まるのも東洋人欧米人ごちゃ混ぜの至って普通のゲストハウス。受付でチェックインだけ済ませ割り当てられた部屋に荷物を置き、日も暮れて少し涼しくなってきた夜の街へと繰り出していく。

これに水がついて250円(当時のレート)

ここへ来て初めてのカンボジア料理らしいカンボジア料理を頂く。
Amokと言う料理らしいのだが、これが実に美味しくて私がこの旅の最中に食べた料理の中でベスト賞を受賞した。
東南アジアの料理と言えば何かとスパイスを多用した辛い食べ物をイメージしがちだが、Amokはココナツミルクを使用して非常にマイルドで日本人好みの優しい味をしている。日本の食べ物ならココナツ風味のカレーによく喩えられるらしいのだが、この写真のAmokが鶏肉を使っていた(本来は魚を使用するのが多いらしい)事もあって、私は優しい味の親子丼に近いと言う印象を受けた。とにかく激ウマ。

最高の食事に舌鼓を打ちながら、次に向かうはナイトマーケット。そろそろ着替えを洗濯する間隔が煩わしくなって来た頃だ。
海外旅行中の洗濯事情については、概ね日本を旅する時と大差ない。宿泊するゲストハウスには大抵ランドリーが併設されているのでそこで自分で洗濯する。
旅のコツとしては、日本を出発する時にはあまり多くの着替えを持ってこない事、お気に入りのお洒落な服も持ってこない事、この二点が重要だ。着替えなんか当日着ている服を含めて三日分もあれば十分。足りなくなったり、いいなと思う服を現地で見つけたりしたら購入して、帰る飛行機に乗る前に日本から持ってきた分を捨ててしまえば荷物を減らすことが出来る。

シェムリアップ・アートセンター・ナイトマーケット

シェムリアップが旅人の街であるということは必然的に土産屋の数もとんでもないことになる訳で、シェムリアアップの中心部であるパブストリートの周辺にはなんと五つものナイトマーケットが存在する。
市内を南北に突き抜けるシェムリアップ川を渡る橋の先にあるオシャレなこちらのナイトマーケットもそのうちの一つ。涼しげな外観とは裏腹に、中は商魂逞しい商売人達の熱気で賑わっている。
こう言う場所での買い物は基本的に交渉が前提だ。店側も交渉で値下げするのを前提の値段で出している為、大人しく表示されてる金額で買うのはかなり損をする。Tシャツ二枚買うのにも気合を入れて交渉開始。なんだかんだ納得いく額にはなったので購入したが、こちらから値段を掲示する場合にいきなり妥当そうな額を言ってしまうと詰める段階で結局少し高くなってしまう。まだまだ交渉が下手だな、私は。

仏像を正面にあしらったブッディズムなTシャツと、NASAのロゴに「探検する」など怪しげな日本語を添えたグローバルなTシャツとを購入してホクホク顔でゲストハウスへ戻る道すがら、突如として現れた若い三人組の女の子たちに肩や腕をガッチリホールドされ、さて何事かと考える暇もなくズルズルと怪しげな店内へ連れ込まれてしまった。
薄暗い店内、私が寝かされたリクライニングチェア、これらの状況から察するに恐らくここはエロマッサージ屋だ。しかし、それにしたってこの女の子達は若過ぎる。アジア人が比較的若く見えることを鑑みたってこの子達は高校生くらい、いや下手したら中学生くらいの年齢にも見えるぞ。
戸惑う私を左右から挟み込んで、マッサージ!スペシャル!とステレオサウンドで囃し立てる女の子たち。そうこうしている内に、暗闇の奥から店主と思しき妙齢のレディボーイがヌッと現れたところで私の恐怖はピークに達した。殺される!

シェムリアップの中心、パブストリート

一時は物理的な死と社会的な死の両方を覚悟した私だったが、無事に生還する事が出来た。屈強なレディボーイは流石に話の分かる大人であったので、私はスペシャルではない"普通の"マッサージをお願いするという旨を慎重に彼女に伝え、この際だから敢えてクソガキと呼んでしまう女の子二人から身体をさわさわされるだけの毒にも薬にもならないようなマッサージを受けて"普通の"マッサージ料金を支払って無事店を出ることが出来たのである。
私の全身を弄っていたクソガキのうちの一人はスペシャルが無いと分かった途端に私に興味を失って適当な態度を取るようになっていたが、もう一人のクソガキは私が店を出る時もわざわざついて来てニコニコ笑顔で手を振って見送りまでしてくれた。畜生、確かに幼いが可愛い顔をしている。でも犯罪だ!!!

一つ修羅場を潜り抜けてまた少し大人になった実感を胸にゲストハウスに戻る。私の部屋は4人部屋で、今部屋にいる私を除けばあと3人がこの部屋を一緒に使用することになる。果たしてどんな人物だろう。フランス人かロシア人ならば言葉を齧っている分だけ少しは仲良くなれそうな気がする。
そんな事を考えていると、日本人と思しき若い3人組が部屋にゾロゾロと入って来た。まさかの同郷!それは予想外だった!
思わぬルームメイト達に、散々海外で日本人と絡みたがる日本人をダサいダサいと常々嘯いていた私ですらもついつい嬉しくなって声を掛けてしまった。
「日本人・・・だよね?」
「あ、はい!そうです!」


アンコールワットを巡る

話を聞いてみると、彼らは日本人2人とシンガポール人1人の三人組で、彼らもそれぞれ一人旅の道中で出会ってここまで一緒にやって来たのだと言う。日本人だけでつるんでいる訳でもなく、始まりはそれぞれ一人旅という点で私は彼らを非常に気に入ってしまった。
もしやと思い、私が単独で予約した明日のアンコールワットツアーに誘ってみると、到着したばかりの彼らはまだツアーを手配していないという事で、二つ返事で了承してもらえた。
まだまだ話したい事はあったが日本人の一人が少々体調を崩しているらしく、今日は早めに寝ようという事に私も同意して就寝。何より、サンライズツアーに行く為に明日は4時起きなのだ。

日付を跨いで翌午前4時。早起きには成功したものの一緒に行く約束をした日本人が、まだ体調が良くならないのであと少し寝て七時には出発するから先に行ってて欲しいと言う。無論、置いていく訳にもいかず、ゲストハウス入り口で待っていたトゥクトゥクの兄ちゃん(どうしてだか、彼は初対面にも関わらず私のことを約束した客だときちんと認識していた)に事情を伝え、サンライズは諦めるからツアーの時間を朝7時からに変更してもらった。
四時半に呼び出しておいて三時間待ってくれなんて無茶な要望だとダメ元で頼んでみたのだが、思いの外あっさり了承してくれたあたり、この辺のトゥクトゥクドライバーにとってアンコールツアーはよほど大きな仕事なのだろう。
せっかく早起きしたので、そのまま早朝の空気を味わいながら周辺を軽く散策する。海外でこんな時間に外をうろつくこと自体珍しく新鮮な感じがするし、カンボジアに24時間営業のコンビニが存在したことにも驚いた。病人の為のポカリスエットを購入してゲストハウスに戻ると、出発の7時まで今しばらくの仮眠を取って過ごした。

四人の旅人達を乗せたトゥクトゥクはアンコールワットを目指しひた走る。出会ってまだ間もない我々は、ここに来てようやく落ち着いてお互いの事を紹介し合う機会を得た。
まずようやく体調の回復した彼、A君。大学四回生の彼は、既に就職も決まっており卒業を前に最後の自由な一人旅に京都から出て来たのだと言う。同じ大学生でありながら私とは正反対の順風満帆な好青年だ。おまけに英語もペラペラ。
もう一人の日本人、N君はまだ19歳。仕事を辞めて気ままなニート生活を堪能していたところ、裕福な叔父から「外の世界を見て来い」と金を渡され、ひとり初めての海外へと送り出されたのだそうな。なかなかスパルタな叔父さんだけど、私の身内にもこう言う類の親戚がいたらな、と羨ましく思う。
英語が全く出来ないのに突如海外にほっぽりだされて途方に暮れていたN君だったが、ベトナムの有名な日本人宿で偶然にも次の目的地を同じくするA君と出会い、A君もそんなN君を放って置けない性格だからと行動を共にする決意をしたらしい。
そんな彼らに随伴するシンガポール人の彼はアジアをバイクで旅する生粋のバックパッカー、のはずだったが、道中でバイクはパンクするわ、その時の衝撃のせいかリュックに穴が空いてそこから荷物を全ロストするわの大惨事。彼もやはりそんな不幸な人間を放っておけないA君に拾われたのだと言う。A君いい奴過ぎる。

この陸路旅行を計画したその日からずっと楽しみにしていたアンコールワットツアーだったが、旅の仲間達の身の上話やここまでの旅の話の方が盛り上がってしまい、正直遺跡はそっちのけ。遺跡ツアーを終えた後の感想は、まあこんなもんか、で終わってしまった。

お互いの事情を知り、往路よりも少しだけ仲の深まった四人を乗せてトゥクトゥクが走る。
シンガポール人の彼はこの後、ここカンボジアで彼女と落ち合う予定らしく今日で離脱する事に。不運だらけだったここまでの彼の旅路の今後に幸あれ。
A君はベトナムからカンボジアを経てタイでこの旅を終える予定で、N君はタイの後はミャンマーに行く予定らしい。そして私はタイの後はマレーシアに行く予定でいる。そう、つまり三人がこの後のタイという予定を同じくしているのだ。これはもう運命としか言いようがない。わざわざタイまで一緒に行かない?なんて聞くまでもなく、私たちはタイまで行動を共にすると決めていた。
まさに旅は道連れ、世は情け、である。


プレアヴィヒアを登る

プレアヴィヒア寺院

「ところで、この後の事なんですけど」
トゥクトゥクに揺られながらA君が切り出す。
「プレアヴィヒアっていう遺跡がカンボジアの北端、タイやラオスとの国境付近の僻地にあるんですけど興味ないですか?」
A君の説明によれば、ここシェムリアップから車で片道三時間ほどの山の頂上にあるプレアヴィヒア寺院。通常の海外旅行者が単独で行くには中々困難であるが、シェムリアップに存在する日本人宿がこのプレアヴィヒアへ行くツアーの参加者を募っているらしい。参加者全員の割勘でバスとガイドをチャーターして向かうからお得に行けるのだそうな。
「興味があるならゲストハウスに戻ってからその日本人宿まで行って、ツアー申し込みしてこようと思うんですけど」
日本人宿のツアー!本来なら私のポリシーに尽く反する為に絶対に参加しないところだが、せっかくパーティに加えて貰ったというのにこのお誘いを断るのは忍びない。まあ一人の時は絶対しないことの一つではあるのだから、この機会に参加しないと一生プレアヴィヒアに行く事は叶わないだろう、という事で参加することに。

因みにこの金髪がN君である

そして翌日。
日本人宿の宿泊者8名に我々飛び入りの参加者3名、ガイド1名の総勢12人を乗せたバスはシェムリアップからプレアヴィヒアを目指して北上する。
バスの乗客は運転手やガイド以外全員日本人、しかも若者が多めという事で自己紹介もそこそこに、車内はまるで修学旅行のような雰囲気で盛り上がった。
山の麓にバスが到着すると、そこからは三組に別れてトゥクトゥクで頂上を目指す。そのトゥクトゥクを降りて更に歩く事30分。

圧倒的高所

ようやく辿り着いたプレアヴィヒア。ラピュタのモデルにもなったと言われるこの天空神殿の有り様には正直アンコールワットよりも感動した。やはり絶景に対する感動は、そこにたどり着くまでに費やした苦労に比例するのかもしれない。

アルバムのジャケットのような一枚。ガイドの人が一番キメ顔なのおもろい
因みにこの赤い服がA君である

往路と同じだけの苦労を再び味わいながら下山した一行は、すっかり日も暮れた頃になってようやくシェムリアップへ帰還。となると待っているのは打ち上げという名の酒である。

パブストリートで過ごす最後の夜

一人旅のつもりで出発したこの旅行がこんなにも賑やかなものになるなんて、一体誰が想像しただろうか。
一次会はみんなでワイワイ、二次会は男性陣だけでハッピーピザなるものを食べに出かける。そう、日本ではあまりよろしくないものが添加されているという奴だ。どの辺がハッピーなのかはよく分からなかったが、ピザそのものはまあまあ美味しかったので良しとする。
三次会は我々冒険者のパーティの三人だけでしっぽり飲んだ。

アジアでよく見かけるハッピーなピザ。多分本物をキマるほど入れてるとこは少ないと思う

これからの予定は三人共にタイへ向かう事は決まっていたのだが、私はパーティに加わる以前からもう既に個人で明日の陸路国境越えの為の高速バスを予約していたし、二人も明後日のタイ入りの手段を手配していた為、我々は一度ここでお別れ。タイで再びの再会を約束して私は一足先に旅立つことに。
「僕らはタイでの宿はもう決まってるんです。そこも日本人が経営してるとこなんですけど、一緒にそこ泊まりませんか?」
A君に説得され悩む私。日本人宿に宿泊することは私の旅のポリシーに反する。しかし今回のプレアヴィヒアの旅だって、団体行動が嫌いな私が想像してたよりはずっと楽しかった。これが率直な感想だ。
「・・・分かった。じゃあ明後日、私たちはそこで再会しよう」


カンボジアを離れる

昨晩は少し飲み過ぎた事を後悔しながら、重い頭を抱えつつバンコクへの高速バスへ乗り込む。ホーチミンからプノンペンへのバスに続いて二度目の陸路国境越えだ。二度目ともなれば初回ほどの緊張感もなく、クーラーの効いた車内は悠々自適。

国境にバスが到着し、一同は国境越えの手続きの為にバスを降りて建物の中へ。添乗員の説明によれば、手続きを終えてタイ側に入った後はここまで乗って来たバスとは違うバスに乗り換えてバンコクを目指すらしい。
すっかり旅強者を気取って余裕をぶちかましていた私はそんな説明も「ほーん」ぐらいの気持ちで聞き流していたが、すぐに大後悔する事となる。

「・・・?」
国境越えの手続きはあっさり済んだ。念には念を入れてトイレも済ませた。ただその後に乗り込むべきバスがどれなのか分からない。建物を出た所にある駐車場には何台ものバスがひしめきあっており、どれがバンコクへ向かうバスなのか分からない。
さて困った事になったぞ。
建物に引き返して添乗員を探そうかと思ったが、中は人でごった返しておりとても特定の誰か、それも知り合いでもない人間を探せ出しそうな雰囲気ではない。
仕方ないのでバスを一台一台見て回ってそれらしきバスを探す事にする。3台目くらいでようやく、シェムリアップからここまでのバスで見た事ある気がするヒッピー風のカップルが乗り込んでいるバスを見つけて搭乗する。

不安な面持ちでしばらく待っていると、バスが何事かを告げてゆっくりと走り出した。バスを間違っていた場合にすぐ降りられるように、と最前列に座っていた私がぐるりと後ろを振り返ると、明らかにさっきまでのバスより乗客数が減っている。本当にこのバスで大丈夫なのだろうか?いやでもさっきのバスで見たカップルが乗ってるし・・・でも彼らも間違ってたらどうする?その時は終わりだ!バンコクにはたどり着けない!

こうして私は行き先が未知のバスの車内で、バスが何処かへ到着するまで「どうかバンコクに行きますように」と祈り続ける羽目になった。頼みの綱のカップルは、お互いに身体を預けながら呑気に寝息を立てている。




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