東南アジア陸路縛り旅 ③カンボジア編
カンボジアへと続く
突然だがここで海外旅行には必須なパスポートの話がしたい。
日本のパスポートは最強だとよく言われるが、具体的に何が強いのか。その指針はビザ無しで入国可能な国の数で表される。
日本は一度首位から陥落したことはあるものの、2024年現在は再び首位へと返り咲き、肩を並べるのはフランス、ドイツ、イタリア、スペイン、そしてシンガポール。この6カ国は194もの国々にビザ無しで渡航が可能なのである。
日本に生まれたという、ただそれだけの理由でそんな強強パスポートを手に入れる権利を与えられていると言うのに、パスポートを持ってないなんて非常に勿体ない事だと思わないだろうか?さあ、今すぐパスポートを手に入れて海外へ飛び出そう。
勿論私も日本のパスポートが強い、というのを実感する機会はここまでの海外旅行で何度かあった。
入国審査の際、私の前に並んでいたアラブ系の男性が係員と長い時間カウンターであれこれ問答していたかと思えば、結局許可が降りずに恨めしい顔をしながら引き返して行くのを見送っていよいよ私の番となり、私もダメだったらどうしようと緊張した面持ちでパスポートを差し出すと、私のパスポートを見た係員は簡単な質問(目的や滞在期間)を二、三しただけであっさり通してくれて拍子抜けしたこともある。
ところでその強強パスポートを持っているとあまり意識しないで済むことなのだが、海外旅行に行くには通常、パスポートとビザが必要である。
パスポートはそれを発行した自国があなたの身分を保証するという証明書であるのに対し、ビザは渡航先の国がうちの国に来てもいいよという許可を出したことを表す許可証。日本が194の国に対してビザが免除されているというのはつまり、観光程度の短い滞在ならいちいちビザを申請しなくても良いということなのである。
さて、ここからが本題だ。
もう察しの良い方は気付いているかもしれないが、ここカンボジアは、最強の日本パスポートでさえも入国するのに問答無用でビザが必要な国の一つなのだ。カンボジア以外で同様にビザが必要な国は他にはロシア、北朝鮮、ミャンマーなど錚々たる面子が揃う。中国も最近では短期観光でもビザが必要になったらしい。なんとなくどういう国にビザが必要かお分かり頂けることだろう。
そしてこのビザを取得するというのが、わざわざ自国内にある渡航先の国の大使館に申請したりしなければいけなかったりで結構面倒臭い。
だが、今は良い時代である。なんとカンボジアは(観光目的に限り)ビザをインターネットで簡単に申請・発行が可能なe-visaというシステムを採用しているのだ。そのお陰で、手数料を支払いオンライン上でビザを発行してもらい、それを印刷して持ってくるだけで済む。
と言うわけで無事にカンボジアへ入国。
バスがカンボジアの首都であるプノンペンに到着したのは日も暮れ始めた18時過ぎ。バスを降りて長時間の移動で固くなってしまった全身を軽く伸ばすと、早速これから宿泊予定のゲストハウスへ向かって歩き始める。
国境越えの最中で何度かバスを降りる機会があったので、バスを乗り間違えないように、と同乗者の顔を何人か覚えておいたのだが、まさかゲストハウスでまでその顔を見るとは思わなかった。
プノンペンを歩く
夜のプノンペンを歩き回って思ったのは、ホーチミンに比べて大分穏やかだという事。ブイビエンのような大音量で音楽を流すような店もなければ、バイクのクラクションもあまり聞こえない。
特に何も下調べなどせずに気の向くままに歩いていた為、ただ単に栄えている通りを見逃していただけかもしれないが、通りも静かで夜に出歩いている人たちも落ち着いているような気がした。
私がここプノンペンでの宿に選んだゲストハウスは一階がバーになっていて、宿泊客もそうでない客も入り混じって各々好きに飲んでいた。決して騒がし過ぎない程度で。
チェックインの際にこのバーで飲むのに使えるビール一杯無料券を渡されたのだが、昨日も飲んだしそういう気分になれなくて、明日でいいやとバーをスルーして階段を登って行く。超長距離の移動で疲労はピークを迎えていた。
上の階は宿泊客用の二段ベッドがずらりと置かれていて、一応一つ一つのベッドがカーテンで仕切られて宿泊者それぞれの小さな個室ということになっている。
耳を澄ませば階下の賑やかさも聞こえてこようが、眠りを妨げるほどではないのでぐっすり安眠。
そんなつくづく控えめなプノンペンの夜はまた、蒸し暑さと共にじっとりと更けてゆく。
翌朝、気持ちの良い目覚めと共に開館したばかりの国立博物館へ向かう。観光は早朝が鉄板、というのは国を跨げど変わらない。
クメール美術を中心とした芸術と歴史の博物館はしっかり日本語のオーディオガイドも用意してくれているので、私のような門外漢でも安心して楽しめる親切さ。ただし律儀に全部をちゃんと聞いて見て回っていたら一日あっても足りなそうなので、キリのいいところで切り上げる。
昼過ぎに博物館を一旦出て、出口で煙草を吸っていたらトゥクトゥクの親父が話しかけてきたので値段交渉をしてトゥールスレンへ行くことに。
運賃は5ドルで落ち着いたが、まだ高い気がする。親父はしきりにキリングフィールドにも行こうと誘ってくるのだが、どうせまたぼったくる気だろうと思ったのでトゥールスレンだけでいいと親父に告げて出発。
トゥクトゥクは自由だ。運転手は客を乗せていても普通に停車して自分の買い物をしたりする。急いでないから別に構わないし、何なら自分もついでに買ってみる。親父が上機嫌で鼻歌など歌っているのをBGMに、ビニールに入った何だかよく分からない飲み物を飲んでいるとトゥールスレンに到着。
この一見学校のような建物こそ、史上最悪とも呼ばれる大虐殺の舞台である。
ポル・ポトが理想とする社会は学問が不要な社会。だから知識人たちを集めて殺していった。ただ眼鏡をしていただけでインテリだと言われ、それだけの理由で殺された人もいた。
あまりにも痛ましい記録と記憶の数々にただただ息を呑む。
しっかり予習して行ったベトナム戦争の博物館と違って、クメール・ルージュに関する事前知識はあまり持たずに訪れたのだが、もうただそこにあるものが全てだった。
見学を終え、これから更にキリングフィールドまで行こうとする元気はとてもじゃないが残ってはいなかった。
出口にまた別のトゥクトゥクがいたので国立博物館まで乗せてくれないかと頼んでみたら、最初の提示額が3ドルだった。やはり往路は高過ぎたんだ。たかが2ドル、と思うかも知れないがこういう貧乏旅をしている時は一円でも安く済ませることをこそ美徳と感じてしまうのだ。
国立博物館まで戻ってきたので、そのまま今夜のクメール舞踊のチケットを購入し夜を待つ。19時から一時間ほどの催しなのだが、実はゲストハウスのバーのビール券も19時から20時の間にしか使えない。両者を天秤にかけ、私はアプサラダンスを選択した。後悔はしていない。
ヒンドゥー教の天女アプサラスを舞踊で表現するアプサラダンスは、古来よりカンボジアの伝統芸能として踊り継がれてきたもので、アンコールワットにも踊り子たちの舞踊の様子が刻まれている。
そんなアプサラダンスで最も重要なのは手の動かし方で、踊り子たちは表情や指先を繊細に動かすことで様々な感情を表現しているのだ。
瞬きをするのも惜しいような美しい時間が過ぎて演目が終了すると、演者だった女の子が最前列で見ていた家族と思しき女性と泣きながら抱き合っている様子が見えた。ひょっとして今夜が彼女の初舞台だったのだろうか。なんとも微笑ましい気持ちになりながら国立博物館を後にする。
博物館をハシゴして伝統舞踊も鑑賞し、なんと文化的に充実した一日であったことか。ゲストハウスに戻って満足感と共に就寝。
明日はいよいよアンコールワットのあるシェムリアップに向けて移動する日だ。
シェムリアップに至る
ゲストハウスをチェックアウトし、シェムリアップ行きのバスへ乗る。バス乗り場に集まっている人数をざっと見て我々が乗り込むのはミニバスくらいの乗り物だろうと想像していたのだが、そこに迎えにやってきたのは普通のバン。
え、本当にこの車にこの人数乗るつもりなのか?と目を疑っていたが、なんと助手席に二人分の席が割当てられ、そうなれば当然の如く後部座席も人間を詰め込む準備は万端。総勢11名が一台のバンにギュウギュウ詰めになりながらアンコールワットの街、シェムリアップを目指す。因みに私は助手席の内側の席となり、運転手と外側の助手席のおじさんとに挟まれて終始窮屈な道中であった。
道中はレストランでランチ休憩なんかを挟みつつ、バンは無事にシェムリアップへと到着。バスセンターで車を降りると、待ってましたとばかりにトゥクトゥクドライバー達の営業攻撃が始まる。
私は3人のドライバーに囲まれながらホテルはどこだ?と尋ねられ、予約してあるゲストハウスの住所を見せながらハウマッチと一言。ドライバー達は突如始まった逆オークションに戸惑いながらも、3人がそれぞれお互いの顔を窺いながら値段を提示。最後に一番安い値段を言ってくれたおじいちゃんドライバーを指名してトゥクトゥクに乗り込み、ゲストハウスへ向かう。
シェムリアップはアンコールワットの観光拠点として旅人たちで大いに賑わっていた。そのせいか活気という意味では首都のプノンペンをも凌ぐ。
トゥクトゥクがゲストハウスに到着すると、おじいちゃんドライバーは料金を受け取りながら翌日のアンコールワットツアーに行かないかと営業をかけてきた。
アンコールワットの観光はこのようにトゥクトゥクを貸し切って早朝から遺跡を回るのが一般的らしい。水面に映る太陽と共に遺跡を写すのがピサの斜塔を支えるように写真を撮るのと同じくらい定番で、日の出を見る為のサンライズツアーと夕陽を見るためのサンセットツアーの二つが基本的なオプションだ。
とはいえ、一人でトゥクトゥクを貸し切るのはまあまあ値が張るので基本的には複数人で割り勘するのがベター。一人旅をしている人達もご安心あれ。シェムリアップの宿のほとんどで宿泊者用のツアーの参加を募っているから、宿で参加申込さえすれば同じ宿の旅人たちと共にトゥクトゥクで安くツアーに行ける。
そんなことはここカンボジアでは常識で、私も事前知識として前もって仕入れてはいたのだけれど、このトゥクトゥクのおじいちゃんをちょっと気に入ってしまったのと、たまには一人でアンコールワットの朝日を拝むという贅沢をしてもいいかな、という気分になったので快諾してみた。
そんな訳で明日は早朝から朝日と共にアンコールワットを拝みに行くサンライズツアーの約束を取り付け、準備は万端。
このゲストハウスに朝の4時半に息子が迎えに来るから、と告げてトゥクトゥクは走り去って行った。
4時半という予想より大分早い時間に怯んでそのまま見送ってしまったのだが、おじいちゃんはもっと何か大事な事を言っていた気がする。
・・・息子?
おじいちゃんが迎えに来る訳じゃないということか?
息子は客を私だとしっかり認識してくれるのだろうか?
そして朝4時に起きることが出来るのだろうか?
やはりきちんとゲストハウスで申し込んだ方が良かったのかもしれない、そんな不安と後悔に苛まれながら今宵の宿の扉を開くのだった。
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