目の中のクジラ
私は、右目の中にクジラを飼っている。
クジラは、たいてい大人しくしているが、時々、目の中を泳ぎ回る。
今、右上から飛び込んできた。
ざぶーん、ざぶざぶざぶざぶ。
尾っぽをくねらして、目の真ん中辺りまで、泳いできたかと思うと、
しゅるるるる。しゅるるるる。
今度は、身体ごとトルネードして、
ぴよーーん。
また、吸い込まれるように、右上の方に戻って行った。
私は、飛蚊症という病気を患っている。この病気は、網膜の一部が剥がれて水晶体の中を彷徨い、目が映し出す像に黒い影を落とすというものだ。影の形もいろいろあって、それこそ、蚊だとか、ミミズだとか様々に形容されているが、私の場合、影がかなり大きくて、クジラのように見えるのだ。年月の経過とともに、影にピントが合わなくなって自然に治るそうだが、その間、この鬱陶しい影と付き合っていかなければならない。
★
クジラは、考えごとをしている時に、よく現れる。
「えーと、今日の仕事の段取りはー・・・」っと、
ざぶーん、ざぶざぶざぶざぶ。
また、クジラが飛び込んで来やがった。
「あれして、これして、それから・・・」、
しゅるるる、しゅーるるる。ヤッホーイ。
チェ、ひとの目の真ん中で、気持ちよさそうに泳いでやがる。
「あれー、今日何するんだっけ!」
知らねーよ、カーバ。
★
車の運転をしていても、クジラは現れる。
右車線に合流するとき、首をひねって、右の方に目をやると、
パラパー、パラパー、パッパラパーのパー。
と、本線の車なんかお構いなしに、バイクに乗ったクジラが、ケツふり運転しながらやって来る。
「どけよ、車が見えないってば。」
ヒトが見るクジラのケーツ。
★
映画を観てる時なんか、スクリーンいっぱいの大草原の映像にかぶって、
クジラ。
はいはい、あんたが主役です。
★
ニコ動なんか、泣けるシーンなのに、
クジラ):クッッッッッッソワロタwwwwww
お前が、コメするな。
★
BIGO LIVEで、新人ライバーに入れ込んでるけど、
クジラ):お花GOちゃん×10000
そんな金、チャージできねーよ。
★
でも、一番困るのは、クジラのせいで、私が誤解されることだ。
テーブルの向こうで、A子さんが前かがみになって、資料を束ねてる。
こっち、こっち。
「え、」
こっち、だってば。
「なにが?」
ほら、そこ。
私は、A子さんの胸元は見ていない。
ウソつけ!
★
クジラとはお長い付き合いになることは、わかっている。でも、どうしても、出てきてほしくない時もある。
例えば、こんな時。
社長:「君、これは一体どういうことかね。」
私:「あのー、それはですね・・・。」
べろーん。
クジラが、上から顔だけ出して、様子をうかがってやがる。
追い返そうと、目の玉を右上の方に持って行くと、
社長:「君、言い訳でも考えてるのかね。目が泳いでるぞ。」
スイスイ、スイスイ。
お前が泳ぐな。
★
おや、クジラが、やけに真顔で私を見てる。
見たくないものから、目をそらしちゃダメ。
クジラを見つめると、視線が真っ直ぐになった。
私:「本当に申し訳ございません。」
逃げちゃダメ、現実を見て。
社長の目にピントを合わすと、逆にクジラが見えなくなった。
私:「現状をしっかり分析して、次期には必ず挽回してみせます。」
社長:「わかった。次に期待してるからな。」
★
むしゃくしゃする時は、ビルの屋上に行くに限る。
木製のベンチに寝転んで、空を見上げた。
今日は、きれいな青空だ。
クジラは、尾を跳ね、ジャンプして、空を泳ぎ回っている。
思わず、右手を伸ばして、クジラをつかもうとした。
つかめるはずないよ。ぼくは、君なんだから。
大空から、クジラの声が聞こえた。
クジラがいる空も悪くないや。
そっと、目をつむる。
fin
この投稿は、キナリ杯に応募するものです。岸田奈美さん、素敵な企画をありがとうございます。
サポート代は、くまのハルコが大好きなあんぱんを買うために使わせていただきます。