見出し画像

不登校って後ろ向きなことなの?っておもう話

久しぶりすぎる投稿
我が家の長男は13歳。学年でいうと中1になった。
小4の冬頃から登校しないという選択をして、デモクラティクスクールへ通った時期もあったけど、一年半ほど通ったが、しんどくなってしまって、スクールはやめた。
小学生生活はあっという間に過ぎ、中学へ。

といっても、中学も行かないと長男。
そりゃそうだよなと、入学前に学校には通いませんのでと、事前に伝えに行った。
でも、書類は出さないとならないらしく、なんだかたくさんの書類を書いたが、中にはこれはいらない気がする…と思うものも。
例えば、災害時の引き渡しカードとか…
登校しないから、必要ないと思うけどと思いながら、仕方がないといった具合で書いた。

登校はしていないけど、相変わらず近所の同級生とは遊んでる。入学して間もない時期に、友達に「部活なに入る?」と聞かれた長男は、「いや、学校行かないとから」と笑っていた。何年も学校通ってないのに、そこをスルーして聞いてしまう友達…
学校に通わない長男を特別視していない友達からの自然すぎる言葉に、隣で聞いていた私も一緒に笑ってたら、「あ、そっか」と苦笑いしてた。

学校に行かない選択をした長男。
そして、学校に行かない同級生を当たり前に受け止めてくれている友達。
お互いを認めあってるからこその関係だなぁとしみじみしてしまった。

でも、担任の先生はどうやら違うよう…
長男は担任の先生とは電話やら対面やらで接点はある。
私は電話はしたが一度も会ってはいない。
別に避けてるわけではないが、機会がない。

今年度、市の教育委員会で不登校の子どもたちの支援として、オンライン環境でのつながりの場がスタートした。
長男と一緒に説明動画をみて、参加してみるか聞いたら、「いつでもやめられるなら、参加してみるか」といった具合で、申し込みをした。
オンラインでHRをやったり、個別学習の時間があったり、レクの時間があったり…
参加すると、出席としてカウントされる仕組みらしい。
長男のペースで週2~3、参加している。

もちろん在籍校との連携もあって、参加している長男について、担任の先生から言われた言葉に、すごく違和感と不快感を感じた。
「参加できてるということは、前向きになったということですかね?」
私の頭は??でいっぱいだった。
前向きになった?
え?
不登校は後ろ向き?

言っていることがよくわからず
「前向きになったということではないと思います。どうなったら前向きになったとなるのかわかりませんが、本人のペースで参加したいときにするでいいと思ってます」と
返答にならないような返答をした。

不登校、学校に行けない子ども、学校に行かない子どもは、後ろめたさをずーーと感じてないとならないのか!と怒りと、やっぱり、いまの教育はそういう視点でいる先生が多いんだなと絶望してしまった。

長男は学校に馴染めなかった、でも、2年くらいは通った。その後、行かないという選択を自らした。
その決断のどこが後ろ向きなんだ?
自分の頭で考えて、体験もして、行動もしたのに。
その過程を理解するわけではなく、
現状、登校していないというところだけをみて、ひとまず対応してますみたいな感じにもとれて、不愉快だった。

不登校は社会問題になってるけど、
不登校が社会問題なんじゃなくて、
不登校の捉え方が狭すぎるのが社会問題だし、登校して学習するか、登校せず学習するか、選択する自由が当たり前にあっていい。
お互いのメリットデメリットはあるにせよ、オンラインに参加したからって、
前向きになったという捉えを安易にしてしまう、教育現場の先生とこの先どうやっていけばいいのだ?と…
目下のなやみになってしまった…



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?