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茶道の稽古。お辞儀と挨拶がつくる、心地よい関係。

「ご機嫌よろしゅうございます」

遠州流ではそう挨拶します、と教わった瞬間、漫画かしら?と思いました笑
まさか、自分の人生で
「ご機嫌よう!」
どころか、
「ご機嫌よろしゅうございます」
と挨拶する日がくるなんて。
しかも、正座して畳に指先を添え、深くお辞儀をしながら…

なんだかおかしなことになってしまった、と少しうろたえながら、先生のあとに続いて
「ご機嫌よろしゅうございます」
そして、
「先生、お稽古をお願いいたします」
若干、噛みそうになりながら言い切りひと安心、、、
そこへ、
「扇子を置いて!」
ぴしり、と先生の指摘が飛んできて、あたふたと扇子を取ろうとするのですが、はて、右手から?左手から?と両手が迷子になってひらひらとさせると、
「右手から!右よ!」
と再度ぴしりときて、先が思いやられるのです。。。

なんだか時代劇コントのようなやりとりを描写していますが、私、本当の初心者で、

これ、2回目の稽古…

会社なら新卒入社の社会人一年生で、配属どころかオリエンテーションのハンドブックを配布されたばかりのはず。
職場に馴染めるようにマニュアルを整備し、上司や先輩が気を遣って、
「わからないことがあったら聞いて!」
と受け入れる姿勢を見せるものです。
茶道なんて一度も経験したことのない本物の素人が、扇子を左手で持ったことを、
「右手!」
と指摘するとは、パワハラもびっくりのスパルタ式お稽古、いけずな京都人さえ、ここまでの理不尽は言わないことでしょう。

お師匠様、マニュアルはないのですか。
できれば、スマホで動画撮影をして復習をさせてほしい泣

でも、あいにく茶室へのスマホ・メモ帳の持ち込みはNGなので、稽古の現場で覚えるしかないのです。
頼るのは稽古をつけて下さる先生のみ、1度聞いたことをしっかり記憶して、身体で再現できるようにならなければと、自然と集中が高まるのを感じます。

これは、
「教わる」
ということ、
「先生・生徒」
の関係について、とても示唆的。
生徒を増やすためには、オンラインでの稽古を提供すればいい、稽古を進めるには教則本を整えればいい、と考えるのが合理的な考え方。
生徒が理解できるよう、丁寧に根気強く教えるのがいい先生。
学校でも職場でも、そういう教え方が求められているように思います。
でも、合理性とは真逆の、経験者の口伝と動きにのみ頼る、
「まずは型から入る」
「なぜ、は考えなくてよし」
な、教え方には、深い世界へ引き込まれていくような引力を感じるのです。
もっと上達したい、学ばなければ、という気持ちが湧いてくるので、先生からのぴしりとした言葉の鞭が入ると集中が増して稽古に身が入ります。

茶道では、挨拶をする際にも挨拶を受ける際にも、右手で扇子を扱い、畳に置くのが作法。
それは、
「一線を保つ」
の意味なのだと聞きました。
頼り過ぎない、踏み込み過ぎない、人付き合いの肝要を扇子で現す、お茶の道は深くて遠いようです。
月に2回、完全にネットから遮断され、アナログな体験をすることは、逆に尖っているのかも、、、


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