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『これだけで十分なのに』

このnoteのタイトル「これだけで十分なのに」はTOCCHIさんというアーティストの楽曲名からつけました。
この楽曲は競争社会に身をさらされている私達にとって、人生の幸せとはなにかを立ち止まって考えるきっかけを与えてくれます。

当たり前のことですが、人は一人ひとりがオリジナルです。(人から言われるとそりゃーそうだわ。となるはずですが、、、)
でも、実際、私達は大人になるにつれて、人と同じ道を歩もうとします。なぜなら、そのほうが生きやすい世の中だと教育されるからです。
競争社会において、何者かになりたい。何か大きな事を成し遂げたい。と思うことは、ある種必然のことだと考えています。

本当に足りないものなんて
実はそんなに無いんじゃない?

日本は恵まれている国です。世界でも豊かな国の中に分類されることに異論はないと思います。しかし、豊かさ≠幸福です。
地球上では、家族と暮らせることに幸せを感じる人もいます。ご飯を食べられることに幸せを感じる人もいます。学校に行けることに幸せを感じる人もいます。
豊かであるがゆえに、競争がうまれ、現状の幸福に気づくことが難しいのです。
だから、上を目指すことがかっこいいとされる世の中でも、疲れたときには無理せず、今の自分を褒めてあげてもいいと思います。もっと言えば、自分に対するハードルを下げて、小さなハードルを超えるたびに自分を褒めてあげてください。
自分自身の幸福度を最大化できるのは、上司でも、友達でも、家族でもなく、自分自身だけです。
自分に甘いくらいが、もしかしたら丁度いいのかもしれません。

周りと持ち物比べて
色々と欲しくなって
人の目がそうさせるのか
これだけで十分なのに

自分自身が本当に欲するものなんて、多分そんなにないです。もし、この世の中で人の目がない状況なら、持っているもののほとんどがいらないかもしれないです。人の目にどれだけ影響されているか、すぐに分かると思います。ただ、ここで言いたいことは、人の目を考えるなということではありません。人の目を考えることは、現代とは切っても切り離せない関係ですから。しかし、自分が絶対に譲れない部分だけは自分の本当の気持ちだけに集中するべきです。自分の核の部分が他人に支配されてしまっては、絶対に幸せにはなれません。結局、自分自身でしか自分の幸福度を最大化することはできませんから。

でも愛する人が欲しいものがあるなら
それを与えれる人にはなりたいかな

この曲で唯一、人になにかを与える側になることを歌っている部分がこの部分です。歌の終盤の部分なのですが、これは人生に通ずると思います。TOCCHIさんの人生の中で外すことができないものが愛だったんではないかなと思います。極端な話、好きな人が笑って一緒にいてくれたら、それだけで十分なのかもしれません。

人生にあえて勝ち負けをつけるなら、最期の時に幸せな感情を持った人が勝ちだと考えています。(どんなに知名度があろうが、人から慕われていようが、自分の人生楽しかった、幸せだったと思って亡くなる人の人生の充実さには決して敵わない)
目まぐるしく変わってしまう現代社会だからこそ、ちょっと立ち止まって、自分のペースで生きようぜっていう『これだけで十分なのに』が素敵な歌として残るんだと思います。

最後に、BASIさんのリミックスバージョンもTOCCHIさんの歌う『これだけ十分なのに』とはまた違った良さがあるので、よかったら聞いてみてください。


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