【え】演劇と吹奏楽(五十音の私)
中学、高校と吹奏楽部だった。中学ではトロンボーン、高校ではホルンを担当した。楽器の良い点は、練習の成果が分かりやすいことだ。
はじめはかたいばかりだった音が、吹き込みを続けるうちにだんだんと丸く、やわらかく、のびやかになってくる。自分の出す音が気に入っていた。
合奏も好きだった。楽譜に沿って演奏するのはリズムゲームのような面白さがあったし、たくさんの楽器の音が混じり合って一つの音楽を成すことに純粋な感動があった。
何よりもうれしいのは音が変わる瞬間に立ち会えることである。
とある練習時のこと。舞うようなひらひらした演奏が求められるパートで、私たちはしっくりくる表現ができずにいた。いったん指揮を止めた顧問の先生はおもむろに薄いハンカチを取り出して頭上に掲げ、ぱっと指を離した。
ふわりと落ちていくハンカチを皆が注視する。「こんなイメージです」と念を押し、再び演奏準備をする顧問。指揮棒に従って流れ出た音は、先ほどとは明らかに違うものだった。
部員全員のイメージが統一され、吹き方が変わり、それがダイレクトに反映されたのだ。止められることのない音楽はやがて教室を満たし、自分たちを包み込む。合奏時にのみ味わえる感覚だった。
大学でも吹奏楽を続けたかったが、高音を出すために長年マウスピースを強く口に当てすぎたせいで、上の犬歯が2本ともかなり後ろにずれてしまっていた。ずっと見て見ぬふりをしてきたものの、高3の時にさすがに心配になり、歯科検診で「大学でも吹奏楽を続けてもいいんでしょうか」と相談すると、「やめておいた方がいいですね」と返された。
仕方なく、引退まで部活を満喫し大学へ。吹奏楽への軽い未練も抱きつつ、さっそくめぼしいサークルを探した。なにかしらの活動はしたい。しかし運動は全般苦手だ。少し興味があった声楽部も走り込みがあると聞いて除外した。そのほかの文化部もある程度の経験者が所属するような雰囲気があり、残る選択肢は演劇部だった。
先輩からの勧誘もあり見学してみることに。開始時間に少し遅れて部室へ入ると、すでに先輩たちが稽古をしているところだった。舞台に見立てたスペースに3人の男女がいる。会話から流れをつかもうとしたが、一人の人物が「ありがとう」と言った途端、顧問の先生が手を叩いて場面を中断した。
見学者への挨拶や説明もなく、そのまま指導が始まる。
ーー今の「ありがとう」の言い方は不自然じゃないか? AとBの関係性でそんな「ありがとう」が出るだろうか? 自分だったらどう言う? もっと考えて、もう1回やってみて。
細かな部分は忘れてしまったものの、ざっくりとこうした指摘だった。興味深く見つめるなか、仕切り直して練習再開。すると、アドバイスを受けた先輩の「ありがとう」の声色ががらりと変わったのが分かった。
言い方に関してお手本があったわけではない。状況を理解し納得することで、発声や視線、佇まいまでもが変わり、台詞がぐっと本物めく。
面白かった。なんとなく吹奏楽にも通ずるものを見つけたような気がした。
目盛りやスイッチといった物理的で明快な調整弁があるものとは違う、感覚や経験を磨くことによってつかめてくるもの。今まで出せなかった音や声、表情を出せたときの驚きと喜び。自分にこんな一面があったのだという発見。
経験してみたい。この日、私は部室に入ってわずか10分弱で演劇部への入部を決めたのだった。
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