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ブロンズを数十秒で逃した。

トップ画像恥ずかしい。
ど素人満載のコーディネート🥹🥹🥹
これが当時の妖怪ってわけ🤚

今まで富士ヒルには6回エントリーしていて、実際走れたのは今年を入れて4回。

1回目はロードバイクを初めて1年も経ってない頃。
地元だし初心者でも安心!完走率の高さ!って書いてある!
そしてお世話になっているショップチームの人たちも出場するからわたしも挑戦してみよう!
という感じのノリで出た。

流石にこの頃はブロンズとかわたしなんかに無理って感じ。

ブロンズをあと数十秒というところで逃したのが
デビューの翌年、富士ヒル2回目出走時でした。
ただこの時の目標は自己ベスト更新!というだけでブロンズは狙っていなかった。

1回目の時に比べて2回目の方が練習はできていた。
というのも、ずっと家にいたジュニア次男が富士ヒルの2ヶ月前に
4月から幼稚園デビューをしたからだ㊗️
幼稚園入学前までは、基本土日のどちらか旦那にジュニアズと遊んでもらってその隙に走りに行く。
たまに当時の仲間と夜に短い坂を2、3本登るみたいな事をしていた。

ジュニアを見送って残った家事をして、いざ練習へ!!!!!
それが物凄く幸せな時間だなと思った。

最初は行ってみたい、チャレンジしてみたい(セグメント)所へ行き腕試しのように登った。
初見の坂を登る時は一応事前にストラバで距離と斜度、QOMの人が何分で走っているのかだけ把握。

それでだいたいどのくらいのペース配分で行くかを決めてからチャレンジ!

最初から突っ込まない。
だんだん上げていってラスト数百メートルくらい
もがいてもたれずにもがききれる距離をもがく。

それで心肺機能に刺激をいれていった。
なんたってわたしはインターバルが大の苦手だから😅😅😅
陸上部だった頃から大嫌い。辛いんだもん。
メンタルが弱いのだ🥹🥹🥹
インターバルができる人たちは超人だと思っていた。
今も思っている。(クソコーチさんリスペクト)

という事で根性無しでメンタル激弱なわたしは
インターバルをしなくてもある程度心肺機能を強化するにはビルドアップ形式で最後フルもがき!!!しかないと思っていた。
(ドヤ顔で言うな)
たれそうな時は全日本大学駅伝のたてちゃんのラストスパートを思い出せ!箱根駅伝の権太坂を我慢してクリアしてからスパートしていく選手のガッツを見習え!と自分を奮い立たせていた。

富士ヒルは25kmの長いヒルクライムだからベースになる体力が必要なのも分かっていたため、目的地を決めて淡々とペース走する日ももちろんあった。
でもなんだかんだそのルートの最後の坂は、ある程度追い込んだ。

富士ヒルまでの2ヶ月はこんな感じで練習をしていた。
ただジュニアズのどちらかが風邪をひいてお休みになったり、天気が悪かったらノー練習だった。

1回目の富士ヒルのタイムが1時間45分くらい。
そこから1年ぶりのスバルラインで腕試しの1回目の試走が前回のタイムとほぼ変わらなかった気がする。

そして2回目の試走で1時間36分くらい。

富士ヒル当日はさらに6分縮めて1時間30分17秒

まさかこのタイムで走れると思わなかったから
めっっっっちゃ驚いた!!!!!

だけど1km1秒ずつ速く走れていたら
普通にブロンズ獲れてたじゃん!!!と思ったら
急に悔しくなってうどん食べながら泣いた。
食べ終わって駐車場へ向かう道中は涙と鼻水が溢れて止まらなかった

車に自転車を積んでる時も泣きまくってた
女1人で泣きながら鼻水垂れ流して自転車片付けてる様はキモかっただろう。

帰り道もずっと泣いてた
子供と一緒に帰りを待っていてくれた旦那に電話した。
『んばああああああ😭😭😭😭ズルズルズル🤧🤧🤧んわああああ😭😭😭ぐやぢ、ゲホッおえっ😭😭😭ぶーん🤧🤧🤧』しか言えなくて

『え、何?』(ドン引きのトーン)って言われて切られた。
試走のタイムや普段の練習量から、ブロンズなんて狙えると思っていなかったから頭の中がパニックだった笑
ていうか待て?フレームがカーボンだったら?コンポのグレードが少し高かったら?と
たらればもたくさん考えて更に悔しくなったのだった🙄

そんなわけで来年の富士ヒルは4月からじゃなくて、次の日から1年間十分に準備ができるんだから
ブロンズは確実に獲れる!リベンジしてやる!と
目標をブロンズリベンジに設定した✌️

当時の機材の情報が遅くなってしまったがここで紹介🚴‍♂️
知識も無く、金銭感覚も狂う前に安いやつ!って購入した初期号↓
バイク→Bianchi インプルソ(アルミ)
コンポ→ティアグラ(初期仕様)
ホイール→カンパニョーロユーラス(下りが怖かったのでアルミリムのヒルクラホイールを店長さんに相談した)
タイヤ→ミシュラン(知ってるタイヤメーカーだったから)
レース時のみトップチューブに推しの写真を貼る。
(当時の東海大学 中島怜利選手と國行麗生選手の6区から7区に繋ぐ襷リレーシーン)
『推しの写真』と言う機材はかなり大事。
これは機材ドーピングと言ってもいい!

タイム表じゃなくて推しを貼る。

これのおかげで前週の試走から6分もタイムを縮めれたと思っている。

現在このインプルソちゃんはジュニア長男が引き継いでくれて活躍中🚴‍♂️🩵

という事で今回はここまで
ブロンズを僅か数十秒で逃した当時のお話でした🐶

また次回🐶🫶




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