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不思議な読書会-幸せの価値とは-

僕が参加する読書会は、とても不思議だ。
それは書評を一切しないからだ。

本を読んで、自分がどのように感じたか。
自分の人生にどのように生かしていきたいか。
自分の価値観がどんなものだったか。

など、自分の「過去・現在・未来」と向き合うような
読書会である。


以前にも読書会について書いているので、
気になる方はリンクから飛んでみてください。


ここからは、今回の課題本であった
「夜と霧」ヴィクトール・E・フランクル
について、僕が感じたことを書きます。

内容にも少しだけ触れることになりますが、
世界的著書なのでご容赦ください。

僕は読書の際に「あとがき」から読むクセがあります。
筆者がどんなことを感じながら書いたのか、
作品の前に筆者と向き合いたいという想いからです。


「幸せの価値とは?」

この言葉が僕の胸に刺さりました。

幸せは身近なところにあり、
灯台下暗しであり、
いつの間にか見えなくなってしまうこともある。


悪い意味での「慣れ」である。


「夜と霧」はアウシュビッツ収容所の中での話で
人の極限状態を筆者はリアルに書いてくれています。


「何に幸せを感じるのか?」


そんなことばかり考えて本を読み進めました。


幸せとは本当に灯台下暗しで、
ちゃんと見つめないと見えなくなります。


誰かがいてくれることが、幸せなんだと感じています。


「人は極限状態で何を考えるのか?」

①家族
②自分
③自分と繋がっている人

本の中では、このように書いてありました。


僕は先のことだけを考えがちなのですが、
今、僕の身近にいる人たちは本当にたいせつな人たちだなと
今、身近にいる人たちに元気をもらい、
もしかしたら、
僕もそんな人たちに元気を与えられているのかもしれない。


しかしながら、
さっきも書いたが、
僕は先のことだけを考えがちになってしまいます。


今あるものを見ず、
先の新しいものだけに目を向け、
実は自分の内面と向き合っていない。


つまり、
自分から逃げている
周りから逃げている自分がいたのではないか。


そう思った瞬間に、涙が止まらなくなった。



今の自分のこと、
周りの人たちのことを考えながら
このnoteを書いていますが、
僕は自分のことしか考えていない。


いや、
僕は自分のことすら考えていない。



「周りを豊かにしたい、幸せにしたい」



この言葉は口から出ているだけで
本心では想っていなかったのかもしれない。


いや、確実に想っていた。


でも、僕の悪いクセだ。
また先のことだけを考えてしまう。



心に浮かぶ光景はなんだ?


フランクルは
「愛する人の面影を精神力で呼び出すことで満たされることができる」
と書いている。


これは、妻への愛が、
妻への想いが
本当に大切だから
このように想えたのだろう。


まさに他者への想像力です。

とはいえ、先のことだけを考えてしまう僕は

人は何度となく、未来を見すえることに逃げ込んだ。
生きていれば、未来に彼らを待っている何かがある。

と何かを期待していたのだろう。
だから僕は、先のことだけを考えてしまうのだろう。


今の僕の心に浮かぶ光景はなんだろう?

パートナーと笑顔で過ごしている光景か?
周りの人と豊かな時間を過ごしている光景か?
楽しく仕事をしている光景か?
やりたいことをやっている光景か?

「人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在」


本の最後に、
「人間とは、人間とは何かをつねに決定する存在」
とあります。


人は、1人では生きていけません。
誰かがいてくれるから、
毎日がカラフルな世界になります。


1人はモノクロの世界です。


僕はもうモノクロの世界に戻りたくありません。
僕はこれまでモノクロの世界に住んでいました。
それは1人だったからです。


大切な人を、本当に大切にすること。
失ってからは遅いんです。


人は誰にでも間違いがあります。
でも、自分だけが傷つかないようにという選択は
自分だけでなく、周りを不幸にします。

だからこそ、
今いる大切な人を、本当に大切にしてください。


今日もありがとうございます。
あなたにとって
今日が豊かな1日でありますように。

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