自分のための読書
今日、「自分に語りかけているような文章」に出会った。
藤原新也の『幻世』だ。
「カンボジアで養子を選ぶ白人夫婦の話」
「神や命を踏み台にして生きてきた、チベット難民の青年が得た平穏」
「韓国と日本で。怒りの表現の行き着く先について」
世界を放浪していた著者の話題は豊富で、しかも出会う人との繋がりが深い。
何よりも文章の表現が好きだ。
「雨中に七彩の虹を見たものが、片時の間、世塵のことなどを忘れ去るように、あの時刻のヒマラヤの姿というものは、それに見入るいかなる人の気分にも、同じ紅の蓮華衣を打ち掛けるように思われる」
何なのだろう。イメージや心象がスッと、脳裏や心に届く。
私好みの表現と話題。それに感性の優しくはない繊細さ。
これまでの私の読書は「何かをのりこえるための読書」だった。
「幻世」を読んでいるうちに、その目的をはらんだ力みは消えた。
初めて読書が「自分の体験」になった思いで、うれしい。
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