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その問いを、 どのように聞くのか



問いは分からないことを知るための道具だ。

そして分からないことを知っているから問える。

分かったつもりになったものは問えない。

分かったつもりになるかどうかには、聞く姿勢が関わっている。




人を理解しようとする問いは、事実を確認するための問いより聞くのが難しい。

本人も気づいていないことがたくさん絡んでくるからだ。

「相手のことを理解したい」という気持ちの中には二つの焦点がある。

「相手」と「理解」。

「相手のこと」にフォーカスできれば決めつけたりしない。

「理解したい」という気持ちが強いと推測を前提に話を進めてしまう。

また最初に思い込みがあり、それを基に質問を決めていると、その思い込みが前提となり相手の答えを歪める。

相手のことに意識は向いているのに、結局は相手を蔑ろにしている。

ことによっては衝突も起こる。




いろんなものが聞く姿勢を乱す。

無意識の狙いがあったり、焦りがあったり、自然体でいられなかったり。

そんな不自然な姿勢もあるし、何か信念や願いを抱くことで一貫した姿勢をとることもできる

問うて、聞いて、また問う繰り返し。

そのあいだ一貫した姿勢でいるとはどういうことだろう。

それはただ同じテーマを続けることではない。

どんなテーマでも変わらない気構えというか、相手に対する一貫した、意識の奥にある思いが姿勢に出るのだと思う。

すべての人への、もしくは生きもの全てへの等しい願いを持っている人もいるだろう。



姿勢が「聞きたい答え」に縛られていると、想定した答えがその姿勢を固める。

姿勢が「本当の声を聞く」ことを求めていると、「聞きたい答え」は相手の中にだけ求めることができる。

「本当の声を聞く」ことが「知りたい」「理解したい」という気持ちに勝るとそうなる。


それが純粋な聞く姿勢であり、それは同時に問う姿勢だろう。






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