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選択して生きていく、 僕らのための自問

 


生きることは選択に溢れている。

昼ごはんや服装、果ては結婚相手選びまで。難易度も多様だ。

選択には失敗や後悔がつきもの。

どうすればより良い選択ができるだろう。

今回は選択に関わる「問う」「考える」「聞く」作業について考える。


選択作業の分解


「今日の昼ごはんはどうしようか」と問うた時、「手間」「価格」「好み」「気分」「同席する人」など、様々な要素を検討することが考えられる。
この検討の質は「昼ごはん」への思い入れや状況などによって変わる。
もし思い入れが強ければ、検討する項目が増えたり各項目の検討が慎重になるだろう。

この検討作業を分解すると「問う」「考える(思い返す)」「聞く」ことに分けられる。


「聞く」について、「自分の思考を聞く」とはおかしな表現と感じるかもしれない。


思考とは数字や物事などの概念を論理や価値観で処理する作業だ。
その作業を観察するのが「聞く」作業。
処理が間違っていないか確認したり、結論を認識したりする。
この確認ごとに「それは正しいか」という問いが生まれ、一つの問いの中に検討が木の根のように分岐して生まれていく。

 

「問い」なしに「考える」ことはできない


「問う」「聞く」、これは意識してできる行為だ。
ではこれらなしに、意識的に「考える」ことはできるだろうか。

やってみて欲しい。「何を考えよう?」と問わずにだ。

おそらくできないだろう。


「目の前に白く丸い時計があり、8時29分を指している。この文章を書き始めて1時間経っている」

という考えがあったとして、「問う」と「聞く」はどう関わっているのだろう。

ここには「何が見える?」「どこに注目する?」「時計の色は?」「時計の形は?」「他にどこに注目する?」「今は何時か?」「それだけでいいか?」「この文章を書き始めてどれくらい経っているか?」「ここで終わりにしていいか?」という問いが最低限含まれる。

また、これらの問いに「考え」が出した「丸く白い時計」「8時29分」「書き始めて1時間」、という答えを認識し「正しい」と判定するために「聞く」作業が行われている。


ちょっとした考えでも、単独ではできない。


「問い」は何を「考える」かを決め、  「聞く」ことが「考え」の質を左右する


良い選択をするために、意識的にできることは「問う」ことと「聞く」ことだ。
良い選択とは、ここでは「本人が納得できる」選択のこととする。
すると、より良い選択とは「本人が今まで以上に納得できる」選択となる。


より良い選択を導く「問い」と「聞く」ことは何から生まれるか。


それは望みと条件の正確さや抜けのなさと、それを実現したい誠実な思いだ。


「何を望み、何を望まないか」

「何が可能で、何が不可能か」


この前提条件が問いを作り、誠実さが「考え」を見守る。


もし望みの認識が歪んでいたり条件を見誤ると、問いが歪んで良い選択ができない。
だから、より良い選択をする準備として、自分の望みと条件についての問いを立てることになる。


より良い選択のための自問


条件は必要な時に情報収集すればいいが、自分の望みをその場で深く把握することは容易ではない。

でもこのような問いを、一日の落ち着いた時間に考え続けることはできるだろう。 


「自分は何を望んでいるか」

「その望みは自分のどんな気持ちを喜ばせ、どんな気持ちを癒すのか」

「あの時はなぜあんなことをしてしまったんだろう」(この問いは後悔ではなく自分への関心から問うのが良い)


どんなにかすかでも、心が感じている望みを見つけて叶えてあげよう。


誠実に問いかけ、誠実に答えよう。



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