見出し画像

25.訪れた変化。

新年1月2日から、朝ランニングを続けている。
今日で25日が経過した。

以前に、オンラインサークルで習慣化についての読書会があった。
ぼくは、手違いで参加しなかったのだけれど、本は準備していたので、自分で読了した。
ぼくが印象に残っていることは大きく二つある。
一つ目は、「習慣化するには、とにかくまず三週間続ける」ということ。
途中でやめてしまう人の特徴として、始めた時に、意気込んで心身に負荷の高い行動目標を設定してしまうということがあるそうだ。
わかる…
刺さる。
自分に言われているみたいだ。
これまでそうやって挫折してきたことが山ほどある。
二つ目は、人間は日々決断の連続にさらされていて、決断のたびにウィルパワーを消耗していっているということだ。
ウィルパワーとは、決断に使うエネルギーのようなもので、人それぞれ限りがあるとされる。
ウィルパワーが消耗してくると、疲れたり、正常な判断ができなくなったり、決断できなくなったりする。
スティーブ・ジョブズが日々の重要な決断のために、毎日同じ服をきて、ウィルパワーの消耗を抑えていたというのは有名な話だ。

この本は、「何よりも続けること」が最優先であると書かれている。
ぼくのランニングを例にとってみると、ぼく自身は「20分は走りたいな」と思っている。
けれど、とにかく最初の三週間は、特にとにかくランニングに向かう行動をとり続けられていればOK、とそんな感じ。
だから、走るのが10分だけでもいいし、5分でもいい。
なんなら、走らなくても朝起きて外に出て準備体操をして終わってもよしとする。
とにかく踏み出すハードルを低く低くする。
ぼくの場合は、20分という自分の中の目標に満たない時間であったとしても、「走った」という事実を作った自分を認め続けた。
「今日もやったね。よくやったよ。また明日も自分のペースで『続けていこう』」と。

それでも、最初の頃は、朝起きるたびに、ウィルパワーを使いまくっていた。
「ああ、寒いなあ。今日は走ろうかな。どうしようかな。」
「ああ、昨日、ちょっと夜更かししたから眠たいなあ。走ろうかな。」
「ああ、仕事朝のうちに片付けたいな。走る時間も仕事に充てたら捗るかもなあ。」
そんなことを日々考えては、迷って、その結果、とりあえず、外に出て走ってきた。
続けられたのは、一つ目の学び、「とにかく続けることを最優先にする」のおかげだ。
迷って、ウィルパワーを消耗しても、「まあ、続けるのが最優先やから、ちょっとでも走ったら、帰ってきてもいいやん。」と自分で自分の背中を押すことができた。
「少しだけでもできたなら、自分に○をあげよう」という、いつでも戻って来れると思う心の安全地帯を自分自身で作っていたんだと思う。
そうやって自分で確保した心理的安全性が根っこにあるから、「よし、ちょっとやってみるか。」とストレッチゾーンに飛び出していこうと思えたんだと思う。

そんなことを続けて、20日が過ぎた頃、自分の中に明確な変化があった。
朝起きて「走るかどうか」ということに関して、ウィルパワーを一切使わなくなっていた。
気づいた時には、自分で自分にびっくりした。
それぐらい、走ることがいつの間にか自動化していて、なんとも思わなくなっていた。
その分、「今日はどのコースを走ろうかな」とか「どのポッドキャストを聴きながら走ろうかな」「いや、最強のプレイリストを探究しようかな」と、走ることが前提の選択肢にウィルパワーを使っている自分がいた。

そう、これって、二つ目の学びに直結する。
人は日々ウィルパワーを消耗している。
けれど、自動化したものに関して、人はウィルパワーを使わない。
「今日呼吸しようかな。」とか「今日歩くとき、右足から歩こうかな。」とか悩む人ってきっといないと思う。
それは、それらの行動がこれまでの人生で自動化されてきたからだ。
ある意味、条件反射のような状態といえる。
だから脳をショートカットして体の各部に情報が伝わる。
習慣化は、つまり、自分の中でウィルパワーを使わずに自動化できることが増えるということだ。
プログラミングなんかとも似てる気もするけど、ぼくらは機械じゃない。
だkら、ぼくの中では、生物としての生存本能というか、自然淘汰みたいなことに近いんじゃないか、と思うようにしている。
自然の方が先にあったんだ。
プログラミングもそういう自然の中に隠された学習によって洗練されていくふるまいを転用したものだと思う。

自動化されてウィルパワーを使わなくなった分、その温存したウィルパワーを別のことに使えるようになった。
だって、走り始めた時って、とにかく「走るぞ」ってことにウィルパワーを使っていたから、他のところまで思考が働かなかった。
それが今は、「どう走るか」ってことにウィルパワーを使うようになっている。
「ただ走る」というステージから、「どうせなら楽しんでより豊かに走りたい」って方向に自分の思考が舵を切っている。
そして、これもこの先続けていくと、自動化されていくのかもしれない。
お気に入りのコースができて、お気に入りのポッドキャストやプレイリストができて、そうやって、走ることの全部が習慣に、パッケージ化されていく。
そうなると、もっと他のことにウィルパワーを使えるようになるのかもしれない。

でも、ちょっと、待てよ。
そうやって、なんでもかんでも自動化してしまうのも、違う気がする。
なんかそれって、世界から色がなくなるように思ってしまう。
だから、ちょいちょい自動化に抗うように、違うコースを走ったり、違うポッドキャストを聴いてみたり、そんなことも忘れないようにしよう。
きっと、適者生存の法則に乗っかったなら、種がすべて同じ性質になることは、リスクなはず。
だから、イレギュラーが入り込む隙間を。
そうか、それが「余白」ってことなのかもしれないな。
「進化」の視点で物事を見たときに、適者生存を続けていく上で、イレギュラーが紛れ込む余白は絶対に必要だ。
だから、「遊び」なのか。「余白」なのか。

書きながら、1人で楽しくなって、もとのテーマから逸れてしまったかもしれない。
でも、それでいい、と思う自分もいる。
だって、このnoteだって、まずは「続ける」ことを当面の目標にしてるから。
まだまだこっちの方はウィルパワーを使ってるなあって感じる。
けど、それも心理的安全性をベースにストレッチゾーンに飛び出しては戻ってきてを繰り返していくうちに、自然体の境地に辿り着くのかな。
その境地に辿り着いた時、ぼくはどんなことにウィルパワーを使っているのかな。
その時の自分が見ている景色を見たいなあって思う。

だから、今日もせっせとわけのわからないnoteを書いて、更新する。
自分の道を進むんだ。
その先に待ってるものは、ぼくしか見れない。
だから、このチャレンジにワクワクするんだ。
今日も、明日も、書く。
書く。

この記事が参加している募集

習慣にしていること

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?