October 27, 2019 国際シンポジウム「ファウストの文化史」
私がファウストという素材に魅了されてから7年くらいが経ちます。
才知があって優秀なのに、傲慢で愚かなファウストが、人間らしくて憎めないのです。
ファウストと名のつく公演があれば可能な限り駆けつけたい。
そんな"ファウ活"の一環として、国際シンポジウム「ファウストの文化史」に行きました。
民衆芸術という側面、メディアとしての役割、美術への影響、音楽への昇華、人形劇への回帰とその発展といった、分野を横断する豊富な内容。そして時折その点と点がつながるのが小気味良い。
切り口は無数にあって、どこから切っても本当に興味深い、ファウスト。
そういえば、音楽に関する発表のときに、ゲーテ版に対する批判的な言及の紹介もあって、大変興味を引かれました。(アンチではないけどゲーテ版に対して疑念を向ける立場なのです… )
私の専門は演劇なので、やっぱり人形劇が一番気になるトピックでした。
今卒論に向けて、日本でのファウスト受容を精査したい私にとって刺激になるお話もありました。
でもやっぱり人形劇に対してちょっと舐めてたんですよね。
文楽はともかく、いわゆる人形劇って民衆の娯楽だし内容も幼稚なんでしょ、と思ってたんです。
第三部のチェコの人形劇映像を観るまでは。
人形ならではの誇張されたコミカリティと人間を象っていながら全く異質なものという不気味さが、単なる低俗を超えている。
ポップとダークを兼ね備えていて、あんなに活き活きとしているのにどこか無機質。
人形劇、おもしろいかも…?と思わされました。まんまと。
次のプーク人形劇場の俳優さんによる、ファウスト導入部分のデモンストレーション。簡易的な実演なのに、手遣いの迫力ある人形と熟練した演技に圧倒されました。
最後はアルファ劇場による『ヨハネス・ドクトル・ファウスト』上演。
明るすぎない照明に浮き上がるキッチュな人形たちの造形、エキゾチックな楽器の音に引き込まれました。
まるで夜の公園で集まって観ているような気分になった。
複数の役を演じ分ける役者の、意図的な慌ただしさが笑いを誘います。
特に印象的だったのは、海の描写。しゃぼん玉で泡を表現したり、ぶくぶくという音を実際に鳴らしたり、工夫が凝らされていてまるでおもちゃ箱のようです。思わず童心に帰って楽しくなってしまった。
こういうところも含めて、ものすごく立体的だなと思いました。人形劇って、生身の人間の芝居よりも制約が多くて平面的になってしまうのではないかと勝手に思っていたのですが、全くの思い違い。
逆に、人形が表にいない状態で、俳優が向き合って喋るシーンにドキリとしました。
さっきまで人形を媒介していたのに、急に人間同士になると、俳優の素顔に注目せざるを得なくなる。些細な表情の変化が出来てしまう人間だからこそ、本心が分からなくなったような。逆説的ですが。
人形の方が有機的に思わされた瞬間。人間に対してヒヤリとした。
物語の結末は、道化がオチをつけて民衆芸術らしくまとめます。気軽に楽しめるけど、物語の歴史や背景に関する知識があれば更に深みを増すこの作品。皆がそれぞれの楽しみ方が出来るのがとても嬉しかった。
上演後は、人形や小道具の撮影OK、手に取ってOKのサービスタイム。人形はチェコの日用品で作られているとのこと。よく見てみると、あんな物まで人形の一部…!
皆さん、こぞって見てました。
本当に色々な発見があって、素晴らしいシンポジウムでした。主催者はじめ、運営に関わった方々と登壇者に労いを。
私が初めて読んだ『ファウスト』はこのバージョン。訳者によって読み比べるのもいいかも。
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