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夫婦同姓規定「合憲」で僕が思う事

(2021年6月23日、最高裁判所が夫婦同姓を強制する民法750条及び戸籍法74条1号について憲法24条に違反するものではないと判断した件に関する記事です)

僕は無駄な事が嫌いだ。

思考停止の保守的な男性上司曰く
夫婦別姓は伝統が崩れるし、そもそも同姓で困ることがないという。
結婚をしている身でありながら、妻の苦労も顧みないやや恐ろしい意見だなと思った。

とはいえ僕は極左思考ではない。
一貫した主張があるとすれば合理性や論理性が大好きだということ。

今回はこの2つの観点から、夫婦同姓に反対の中の一部の主張への違和感を書く。

民放750条と戸籍法74条1号は合憲判決

今回の判決について、僕が最初に思ったのは「そりゃ当然の結果だ」という事である。
(欲を言えば勇気ある判決に期待したが)

理由を一言で言うと、この二つの法律は憲法の下で作られたからである。
というよりは憲法が合わせたというべきか。

そもそも夫婦の姓というのは、現在の制度ですでに、父方でも母方でも良い。
だから制度上は男女平等になっていて、違憲なはずがないのだ。
だから僕が違和感感じているのは、判決に対してではない。

言わずもがなだが、今回の判決で一番肝心なのは

「夫婦の氏についてどのような制度を採るのが立法政策として相当かという問題と、夫婦同氏制を定める現行法の規定が憲法24条に違反して無効であるか否かという憲法適合性の審査の問題とは次元を異にするもの」

この部分だ。

つまり、今回の判決も結局、
夫婦別姓にすべきか同姓にすべきかという夫婦のあり方については最高裁は明言を避けたのだ。

実際には今回の判断に関わった15人のうち4人は、ジェンダー論の立場に立って「違憲」だという意見を示した。
その4人は先進的で勇気ある人たちだったと思う。

なぜ、含みを持たせたのか。
これを考えるには社会学的な観点が必要な気がする。

制度と実態への違和感

夫婦同姓の運用上の効果について考えていきたい。
まずはジェンダー論というよりは、もっと個人の自由や尊厳に着目すると、同氏の強制によって、婚姻カップルのまさに半分が姓を奪われるという事態が発生する。
そのことによって、社会生活上の不便、(例えば印鑑を変えなければならない・各所に報告しなければならないなど)、ある意味アイデンティティの喪失をも味わう。
(結婚式で父と娘が泣いたりするのがそれ)

加えて、改姓した側のみが、離婚、再婚、再々婚による姓の変更を強いられる事にもなる。

これに対して、保守的な発想から批判すると、
実現してはいないが、例えば行政機関への手続きを旧姓でも認めるといったことや、現在では企業単位で仕事上旧制の使用は認められている。
つまり制度の運用上の不便さを解消することで、非合理を解消していこうということだ。
これは今の政権でも議論され、推進されている。


ここでの僕の違和感は
「なら別姓でも一緒じゃん?」ということである


つまり、慣習や伝統については一旦置いておいて、合理性の観点から多様な場面で別姓を認めていくという事ならば、法律を改正して、選択的夫婦別姓にしても同じじゃん。ということだ。

いま議論されているような、選択的夫婦別姓なら、めんどくさい人は別姓にして、同姓にしたい人は同姓にすれば良いということになる。


しかし、問題はそう単純ではない。


別姓に反対する人達たちがよく言うのは「ジェンダーの問題と夫婦別姓の問題は別問題で、夫婦の話し合いで女性方の氏でも名乗れるのだから変える必要はない」という主張についてだ。

うん。言いたい事はよく分かる。
しかし、僕の考えでは、これはむしろ、その言葉とは裏腹にジェンダーな背景が潜んでいる。

実際のところ、内閣府などの調査では、
「夫の姓を選ぶ」と答える女性が7割に登っているという。
この調査だけでは、女性がそう希望しているのか、
あいかわらず結婚イコール改姓と考えているのか分からない。

参考:「選択的夫婦別氏制度の導入への考え方」(内閣府)
https://survey.gov-online.go.jp/h29/h29-kazoku/2-2.html

一つ確かなことは運用上、女性の方が損害を被る可能性が高いということである。
制度が男女中立的でも、結果的に平等な運用ができないことを「間接差別」と社会学では呼ぶ。
それは男性に対して不利に働く場合も同じである。
単純な男尊女卑や女尊男卑の話ではない。

他の例としては、終身雇用制・年功序列・企業内組合などがそれだ。

慣習や伝統の観点から見ても、改姓が婚姻上のステイタスになり、女性あるいは男性はそれを第三者に示したいかもしれない。
つまり、今議論されている選択的夫婦別姓ならば仮に法改正が行われたとしても、
反対派が懸念するほど社会に変化は起きないと思う。

拡大解釈と合理性への違和感

もう一つの違和感は、特にSNSに存在するような自称保守派の人たちの大多数には、論理的に別姓に反対できる人はいなさそうである上、そもそも夫婦同姓の肯定論をそうじゃない人に向けて納得のいくように説明できる人なんていないのではないかという疑問である。

これらのツイートは主に4人の判事とそれを取り上げた朝日新聞や日経新聞への批判のほんの一部。

可哀想なことに「違憲」の4人はいま自称保守派の人たちにTwitterなどで槍玉に上げられている。
僕が言いたいのは、「合憲」の判断をした残り11人の意見を見てほしいという事だ。
現在運用されている「夫婦同姓」を制度上あるいはジェンダー論の観点から、それがあるべき姿だとするような意見を述べた判事は実はいない。
むしろ判決には、社会背景に応じて変化するあるべき姿については「国会で真摯な議論がされることを期待する」という補足意見が付けられている。

つまり、右の人が騒ぎ立てるような「夫婦別姓が否定された」事態には陥っていないのだ。

そして報道の側の僕、しかも組織としては右寄りに身を置くものとしても、あえて注意喚起しておくと、朝日新聞や日経の今回の報道については、
(これらの記事が素晴らしいかどうかは別として)
そもそもネットに情報が溢れる社会で、人々が自らの意思で情報を取捨選択できるようでできない時代にあって、俯瞰してみれば健全な情報の流れの一部だ。

朝日新聞や日経新聞が個別の判事の意見を、意図を持って取り上げたとしても、立場が明確なら問題はない。

というより、報道機関がそれぞれの社風や色を出す必要がある時代に、足並みを揃えるようなことがあれば、僕としてはそのことの方が批判に値する。

一言言っておきたいが、マスコミを擁護しているわけではない。マスコミは歪んでいるし正さなければと本心で思う。
ただ、「目的化したマスゴミ批判」が嫌いなだけだ。

僕が今回一番言いたかったのは、
★現行法の制度それ自体が女性蔑視なものだとは思わないが、その効果には男女差があり、別姓を認めれば世の中の無駄が省ける上、男女平等の意識改革につながるのだから選択制なら別姓でいいんじゃないか★ということである。


おまけにもう一つ。
全国の婚約カップルさんに言いたい。

選択別姓の方がたぶん喧嘩が少なくて済む。

家庭的な観点から見ると、
新婚早々、喧嘩の種になるのはこの婚姻手続きの問題だ。申請の段階で喧嘩にならずとも、「俺が/私がこんなめんどくさい手続きをしているのにあの人は手伝ってもくれない」なんて思われることが無くなるのである。

だから、個人的にはこれからの世界の動向や世論の動きに大注目している。

そして、この記事を読んで不快に思われた方はいると思う。
記事へのご意見やご批判はいつでも大歓迎です。
ただボロカスに悪口を書いてやろうという方には、たった一つだけの条件があります。
一、まずは「逃げ恥」全部観てください。

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