見出し画像

世界が桜の花びらに包まれたみたいにふわふわひらひらに黴びてしまう話

桜黴

202103282051
202211122022

**
最初の桜黴は、そこそこ人気だった。よくあるふわふわの刻みチョコをトッピングしたような廃工場の壁が発見されて、瞬く間にSNS映えする写真スポットとして広まった。淡い桃色が可愛らしいし、ふわふわ散る黴が幻想的でとても綺麗だったので、「桜黴」と命名された。

おかしな事になったのは二週間経った後だった。
それまでは何ともなかったのに、桜黴を見に行った人たちが一斉にけほけほ咳をし始めた。
医者は黴アレルギーを発症したのだとばかり思ったが、検査をしてみると実際には体の内側のあちこちに黴が生えていて、事実上寄生されている状態だという事が分かった。人々は自分の内側から無限に出てくるふわふわひらひらに咳き込んでいたのだ。

危険な寄生黴の新種だという事が分かってから、人々は必死で隔離と閉鎖を試みたが、もう遅かった。
桜黴の花びらみたいなひらひらは、瞬く間にあちこちの建物を包み、人を包み、生き物を包んでいった。
なにせ鉄だろうがダイヤだろうが水の中だろうがお構いなしに生えていくので、手の打ちようがなかったのだ。

しばらくして、地球はまんまるな桜色の球体になってしまった。
しかし、人々は花吹雪をひらひらさせながら生きていた。

**
ある朝僕は、とびきり綺麗な女性を街で見つけた。なぜ綺麗だと分かったかというと、花びらが一枚も付いていなかったからだ。なにせ今は地球の女性は皆桜色でふわふわしているから、花びらをかきわけない限り誰も大して変わらないのだ。

彼女は花見に来た宇宙人だった。右耳の上にぴょこんと生えたアンテナが愛らしい。観光案内を口実にダメ元でお茶に誘ったところ、ラッキーな事にオッケーの返事をもらった。

「今、地球はとっても人気なんです。前は地球は青かったから、全然人気なくて」
「ええ、地球って人気なかったんですか。悲しいなあ」
「うちの近所にきりん座BQ星があったんですよ。だから、青い星なら近所にきりん座BQ星が有るしなあ、って感じで」
「なるほど、近場に綺麗なところがあるとやっぱりそっちに流れちゃいますよね」
「そうなんです、でも最近、桜色になったじゃないですか。赤青黄、あと白とかなら珍しくないけど、桜色なんて誰も見た事無かったから大ブームで」
「え、じゃあ結構来てます?みんな」
「ええ、私の友達はウェディングプランで来る予定ですね。今地球って最高に可愛いから」

「あの、不躾な質問ですが……お姉さんは恋愛とかは……」
僕は自分からナンパしておきながら少しためらった。口をもごもごさせたらちょうど喉から湧いてきた花びらが詰まって大いに咽せた。喋りながら花びらを飲み下すのは意外とコツがいるのだ。

「ええと、大丈夫ですか?」
「大丈夫です大丈夫です、すみません」
コップの水を水に湧いている花びらごと一気に呷ると、何とか一息つく事ができた。とんだ失態だ。彼女の様子を恐々窺うと、彼女は興味深そうに水を見ていた。

「それ、私も口に入れられますか?」
「えっ?ええと、分からないです、体質によっては毒になるかも……」
「そうですよね。難しいかな。普段は色とりどりのガスを食べて暮らしているので、液体って見た事がなくて……」
「ああ、現地料理って気になりますよね。大体お腹壊すんだけど、つい食べたくなっちゃう感じ」
「そう、そうなんです!ちょっとくらいならイケるかなあ」

彼女はアンテナをピピピと光らせると、後頭部にコップを寄せていき、一瞬眉を寄せた。
「うーん、花びらが邪魔かもしれない……」
「慣れてないとそうですよね。大丈夫、猫飼ってると大体猫毛入りの水飲む事になるでしょう、あれと同じですよ」
「ああ、うちの星でも似たような事はあるかも」
えい、っと後頭部に大きく開いた割れ目にコップを放り込むと、オルゴールのような音楽が流れた。彼女の咀嚼音らしい。コップは邪魔じゃないのかな、と少し気になったが、見る限り気に留めた様子はない。
「綺麗な音ですね」
「ふふ、食べ音が綺麗とはよく言われます」

僕は思わず彼女の笑顔に見惚れて、顔が真っ赤になってしまった。と、熱を帯びた顔の表面の桜黴が一時的に失活し、僕は恋する顔面を存分に晒した。これだから地球の恋は厄介なのだ。
「あら、そんな顔だったんですね」
僕の狼狽をよそに彼女はあっけらかんと言ってのけた。
「どんな顔に見えます?」
「そうですねえ」
彼女はアンテナからぷるる、と電磁波を放出するとこう言った。
「とっても男前だと思います。私は好みだな」
僕の赤面はますます悪化した。

**
彼女と付き合い始めて二週間が経った。
遠距離恋愛だが、彼女の星の技術はかなり進んでいるので、今のところ大した問題はない。
二、三日に一回は地球にやってきては、「今どこ?」「ごめん、マダガスカルに着いちゃった」「ええ〜また?」「今回は運転上手くいったと思ったんだけどなあ」「まあいいよ、あと二十分くらい?」「うん、急ぐね!」と大雑把な待ち合わせをしている。
迷子属性なところも正直可愛いと思うし、そう伝えたのだが、彼女は大いに立腹して「私が迷子になりやすい訳じゃなくて、宇宙船の操作が繊細で難しいのが問題なのよ」と主張していた。可愛い。

「それでね、友達の結婚式、来週になったんだ」
「意外と早いね」
「友達、インフルエンサーだからさ、地球婚ブームの火付け役になりたい、って相当張り切ってるみたい。最近彼女のSNSピンク一色だもん」
「それは、地球の桜色?それとも、」
「両方かな。彼氏さんともますますラブラブみたいだから」
「いいねえ」

素知らぬ顔でこんな会話をしているけど、実のところ僕たちもピンク真っ盛りだ。
なぜなら、前回の三回目のデートで初めてキスをしたからである。
彼女は僕の喉から舞った花びらに大いに咽せて、「地球が青い頃に出会っていればよかった」と言ってみせた。彼女にはまだ花びらが邪魔らしい。

「でもやっぱり、地球が桜色になってから出会って良かったかも」
目の前の彼女がぷるる、と電磁波を放出したので僕は身構えた。これは甘い台詞が飛び出すサインだ。
「だって、あなたの恋する顔がこんなに楽しめるのは、桜黴のおかげだもんね?」
「えっ」
頬を触ると、花びらがなかった。何という事だ。最近もう僕は彼女といると有頂天でいつでも顔が火照りっぱなしなのだ。地球が桜色になったせいで僕はひどく恥ずかしい目に遭っている。何か言い返してやろうとした瞬間、笑った彼女が突然激しく咽せた。

「……花びら」
「え?どうして……」
咽せた彼女の口から、地球ではありふれた花びらが一枚ひらふわりと舞った。

「私の星には湿度が無いはずなのに……」
「湿度?ああ、前に言ってたね。私って実はドライなの、って。全然そんな事ないでしょ、って返したけど……え?」
「黴が発生するには一定以上の湿度が必要なんでしょ、でも私の身体に水素なんて……」
「あっ」
気付いたのはほとんど同時だった。
二週間前に飲んだ水から彼女の体内に桜黴が蔓延したのだ。
やっぱり遠い星の現地料理なんて口にしてはいけなかった。彼女の身体には水を処理する機能が備わっていないのに違いない。

**
彼女がひどく取り乱して星に帰ってから、二週間が経った。
僕は素顔を晒す事もなくつまらない日々を送っていた。
いや、無理もない。向こうでは初めての症例なのだ。しかも湿度が無いという事は、水素自体今まで存在していない星だったのかもしれない。治療は困難を極めるだろう。

どうやら地球で食事をしたのは彼女だけだったらしい。宇宙人は空気中の微量の水素ガスくらいなら屁でもないらしいが、大量の液体となると流石に処理できないんだそうだ。
まあこれは先週結婚式を挙げた彼女の友達から聞いたんだけど。

あの時水を口の中に入れなければ……。いやそもそも桜黴なんかが無ければ良かったのだ。水だけなら処理できないだけで体内にある分には健康に問題なさそうだった。

あーあ。地球が青い頃に出会っていれば良かったのに。

**
それから三年後、僕は花びら嚥下専門の言語聴覚士として老人ホームで働いていた。
花びらで咽せる人は幾らでもいるので、今やマッサージ師と同じくらいにはメジャーな職業なのだ。
僕は結構腕が良かった。なにせ昔はキスも上手くできないくらい咽せてばかりだったからね。

ホームの食堂でテレビを見ていたら、液体ロケット燃料を搭載した新種の宇宙船がマダガスカルに突っ込んだニュースをやっていた。
宇宙船からはふわふわひらひらした花びらのかたまりが降りてきた。
右耳の上で電磁波に乗ってふるふる震える花びらを見た瞬間、僕は直感した。

二十分後、宇宙船は僕の前に現れた。
彼女は開口一番こう言った。
「これは迷子になった訳じゃなくて、液体ロケット燃料の出力を加減するのが難しかっただけなのよ」
相変わらずとんでもなく可愛かった。

僕は自分の顔に熱が集まっているのに気付いた。また僕ばっかり恥ずかしい目に遭う!そう思って彼女の方を見ると、何と彼女も素顔を晒しているではないか。
「どうしたんだ、それは」
「いろいろ治療したのだけど……何だか私の身体は、ドキドキする時に出す電磁波で一時的に桜黴の栄養素を奪うらしくて……」
「つまり?」
「私は今三年ぶりに素顔を晒しているわね」
「奇遇だね、僕もだよ」
それを聞くと、彼女は本当に嬉しそうな顔で笑った。

「……やっぱり地球が桜色になってから出会って良かったかも」
僕は彼女の笑顔をまじまじ見つめて思わず呟いた。
「三年間会えなかったのに?」
「だって君、僕が一目惚れしたくらい美人だろ」
「あら、あなたって意外とウェットなのね」
彼女はぷるる、と電磁波を出しながら続けた。
「でも私も、地球が桜色になってからあなたに会えて良かった」
君も結構ウェットだよ、と僕は返した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?