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ゆめゆめ、きらり #3

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 みかこたちは、また歩きだした。それまで進んでいた道なき道をはずれ、雑然と立ち並ぶ木々の間に目を凝らす。

 小屋は、案外すぐに見つかった。

 いまにも森に埋もれてしまいそうな、古ぼけた小屋である。丸太を積んで三角屋根を乗せただけみたいな簡素なつくりで、正面にはめこまれた扉は、彼らのなかでいちばん上背のあるみかこでも、余裕を持って通り抜けられそうな高さがあった。

 中からも、まわりからも、声ひとつ物音ひとつしない。その小屋は、しずしずと、ひっそりそこにたっている。

「誰か住んでるかなあ」

 扉を見上げて、キャスケットがつぶやいた。

 みかこは扉をノックしてみた。とつとつと、かわいた音がちいさく鳴る。中からの応答はない。そっと押してみると、ぎい、とにごった音を立てて隙間ができた。

 小屋の中は薄暗かった。外よりずいぶんひやっとしていて、鼻がむずがゆくなってきそうな、ほこりっぽいにおいがした。

 ひとは、いた。
 中央に、膝をかかえた青年が、ひとり。

「泣いてる」

 少女がぽつと言った。みかこの横から兄弟ネコがひょこっと顔を出し、中をのぞく。

 はたして彼が泣いているのかどうか、判断がつかなかった。彼は、鼻をぐすぐすさせることも、肩をふるわせることも、嗚咽をもらすこともなく、置石みたいにただそこに座りこんで、腕に抱いた膝がしらに額をぴとりとくっつけているばかりなのだ。

 シルクハットが、ステッキの先で床をたたいた。とつとつ。青年が、顔を上げた。

 硝子細工みたいなひと、とみかこは思った。いまにぱきりと折れてしまいそうな、ほうっておいたらいつかとけてなくなってしまいそうな、ひと。

「失礼、泣いているのかと」

 扉を開けて、ちゃんと姿を見せてから、シルクハットが帽子を持ち上げた。青年は不思議そうにみかこたちを眺めていたけれど、ふっと笑って、

「泣いてないよ」

 と、微笑んだ。
 少女がみかこの髪をひとたば、くいくい引っ張る。

「でも、泣いてたの」
「泣いてないよ。なみだが見えるかい」
「なみだをこぼさずに泣いていたの」

 少女は青年ではなく、みかこにそう訴えた。
 すると青年も、「泣いてないよ」と、みかこに向けて繰り返す。

 たしかに彼は泣いていなかった。けれど、彼をとりまく空気は、泣いているひとを包むそれとよく似ている。そんな気がした。

「きみたちは?」

 首をかしげる青年に、みかこたちは事情をかんたんに説明した。休ませてほしいことも伝えてみると、青年は、微笑みの中で快諾してくれた。

 みかこたちは、ちいさな輪をつくるようにして座り、おのおの休んだ。
 青年もそこにくわわってはいたけれど、ぽつぽつ交わされる会話に混じることはなく、あぐらをかいて、ただただぼんやりしているばかり。しんみりした空気に閉じこもっているふうにも見えるから、すこし気掛かりだった。

 ふと、みかこの左肩に座っていた少女が立ち上がった。
 すべり台のように、みかこの腕をするするすべり降りた彼女は、床を走って、青年の足に飛び乗った。軽やかに動く少女を、ネコの兄弟が目で追った。少女は、彼の膝がしらまでのぼっていく。

 青年が、少女を見下ろした。
 少女は、青年の瞳をじっと見上げた。

 少女がみかこを振りかえった。青年を指さして、

「泣いてる」

 と、また言った。

「泣いてないよ」

 青年が微笑む。ぱきり。いまにも音が聞こえてきそう。みかこはたまらなくなった。

「なにか、かなしいことあった?」

 青年の水色の瞳が揺れた。

「かなしいことは、なにもないよ」

 ゆっくりと答え、みかこたちから視線をはずしてまぶたを伏せた。すこし逡巡するような間をおいて、ただね、とつぶやく。

「さみしいんだ」

 そっと吐きだされた言葉が、彼らのまんなかに滞留する。

「どうしてさみしいの」

 少女が聞いた。

「わからない」

 青年の瞳が、またゆらゆら揺れた。

「へんなさみしさなんだ。どうしてさみしいのかもわからない。でも、ただ、ずうっとさみしいんだ」

 シルクハットがふむと相槌を打ちながら、薄暗い、ほこりっぽい小屋の中を見回した。

「君、ひとりかね。兄弟は」
「いないよ」
「おばあちゃんは?」
「いないよ」

 シルクハットと少女が、同情的な吐息をこぼす。キャスケットが口をひらいた。

「ともだちは」
「……いるよ」
「そんならともだちと過ごせばいい。さみしいのがいやなら」
「うん」

 うなずいたけれど、青年の表情はくもったまま。

「あのね」

 と、少女が、はちみつ色のまりを抱きしめて身を乗りだした。

「私のおばあちゃんもさみしがってて、これから会いに行くところなの。みつまりを届けにいくの」

 みつまり。花のみつでできたまりだからかしら、と、みかこの頭のすみに、そんなことがふつりと浮かぶ。けれど口をはさむことはせず、懸命に青年に語りかける少女を見守った。

「私、あとであなたのおともだちに会って、さみしがってることを伝えてあげる。そしたらきっと、会いに来てくれる。さみしくなくなるわ。ね」

 青年は微笑んだけれど、それでも、やっぱり表情は晴れなかった。

「ともだちはね、いるんだ」

 そう繰り返して、少女をそっと床に下ろして立ち上がる。ちいさな輪を横切った彼は、ぎい、と扉をきしませて、小屋の外へ出ていってしまった。

 みかこたちが顔を見あわせ、腰を浮かせたとき、ぴい、と口笛が聞こえてきた。

 外に出てみて驚いた。そこにたたずむ青年のまわりに、小鳥たちがつどっている。ぴい。ぴぃぴぃ、ちちち。青年の口笛に応じて、彼の肩に、伸ばした腕に、一羽、また一羽ととまっていく。

 青年が、みかこたちを振りかえった。

「ともだちだよ」
「これは、これは。ずいぶんかわいらしいともだちだ」
「うん」

 青年が笑むと、小鳥たちはぱたたと翼をはばたかせ、みかこたちのほうにもやってきた。みかこの肩に、少女を乗せた手のひらのつけねに、兄弟ネコのそれぞれの帽子にとまる。

 みかこは顔をほころばせて、肩にとまった一羽に頬を寄せた。するするすべる毛並が心地よく、ほんのりと、あたたかい。

 ぴぃぴぃちちち、ぴぃぴぃちちち。

 小鳥たちのさえずりがあふれた。なのに、青年の表情は変わらない。あの、やわくて泣いてるみたいな微笑みを、いまは小鳥たちに向けている。

「どうしてそんなにさみしがるんだね」

 シルクハットが心底不思議そうにたずねた。帽子のつばに並んだ三羽の小鳥を、ステッキの柄で支えている。

 青年は、瞳をゆらゆらさせた。

「どうしてだろう。こんなにたくさんともだちがいるのに、ひとりきりな気がしてしかたないんだ。僕はきっと、へんだ」
「うん、へんだ」

 頭のまわりをくるくる飛びまわる小鳥をグーの手で追いかけながら、キャスケットがすぐさま言った。

「おれだったら、さみしくならない」
「うん。……うん」

 青年は二回、浅く、深くうなずいた。

 小鳥たちがはばたいた。みかこたちのもとから飛びたち、青年の元に戻って、ぴい、ぴいと口々に鳴きはじめる。

「みんな、心配してる」

 少女がつぶやいた。

「そりゃそうだろう。目の前で、友人がかなしそうにしているんだからね」

 帽子をかぶり直しながらそう続けるシルクハットの声は、青年にもはっきりと届いたようで、「僕は」と落ちたちいさな声がふるりとふるえた。

「僕は、きみたちにかこまれて、きみたちと話ができて、とてもうれしい。ほんとうだよ。でも」

 青年の顔が、はがゆそうにゆがむ。

「さみしい僕は、どうしてもいなくなってくれないんだ。こころの中から消えてくれない。この気持ちを吐きだしてしまえたらどんなに楽だろうとも思うのに、うまく言葉にすることもできないんだ」

 青年は、とうとううつむいてしまった。

 みかこは、ああ、そうだ、と思う。
 彼の言うさみしさもそう、こころの中にはっきりとかたちがあるのに言葉になれない感情もそう、どちらにも覚えがある。

「見せられたらいいのにね」

 みかこが言った。

「見せられたら、きっと、ぜんぶ変わるにちがいないのに」

 青年がはっと顔を上げた。みかこの顔をじっと見つめる。うん、と音になりきらないうなずきと一緒に、また諦めたみたいな顔をうつむかせた。

 しん、と静寂。さみしさが、満ちる。

 ふと、少女がうたいだした。童謡みたいなのどかな旋律が、最初はちいさく、だんだん大きく。みかこの手のひらで体を揺らし、くりっとまあるい桃色の瞳をぱちぱちさせて、ちょっぴりはにかむ少女のうた声は、透きとおって可憐だった。

 小鳥たちがさえずりはじめた。キャスケットもふんふん鼻でうたいはじめ、シルクハットも口ずさむ。風がさあっと吹き抜けた。葉っぱたちが控えめに音を奏で、音色を添える。

 いろとりどりのうた声に聞き入っていると、少女が、みかこの袖をくいくいと引っぱった。うたいながらみかこを見上げ、リズムに合わせて、くい、くい、と袖を引く。

 みかこは慌てて首を振った。知らないうただもの。けれど少女は袖を引いて、みかこをうたに誘い続ける。

 みかこはためらいつつ、ちいさく口をひらいてみた。すると、知らないはずのメロディーを、声が勝手にたどりはじめる。だんだん楽しくなってきて、自然と体が横に揺れた。

 少女が青年を見上げた。みかこも、青年を見た。

 彼は、青い空にとけこんでいく彼女たちのうた声を追いかけるように顔を上向け、目を閉じていた。みかこは青年に近づき、少女がしたのとおんなじように、青年の袖をつまんだ。引っぱってみる。
 青年は不思議そうな顔でみかこを見た。また引っぱる。
 察した彼は、困惑と当惑のまじった顔をして、焦ったように首を振った。

「苦手なんだ、うた」

 聞きとめたシルクハットが、おやと大きくした瞳をいたずらっぽく輝かせて、片方つむって誘いをかけた。隣でふんふんうたっていたキャスケットも顔をくしゃっとさせる。小鳥たちがはばたいた。青年のそばをくるうり飛んで、うたへ招く。

 青年は、瞳をゆらゆらさせてみかこたちを見回し、悩んで、押し出されるようにうたいだした。まとはずれな音程がくわわる。一瞬弱まったうた声に笑いがまじると、青年の頬がぼっと一気に赤らんで、早々に口を閉じてしまう。

 キャスケットが、青年の腕をとった。
 だみだみした声でうたいだしたのだけれど、それはうたうというよりがなっているに近かった。しかも澄ました顔で、つきだしたおしりを右に左に振るものだから、みかこも少女も、シルクハットすらも笑いをおさえることができなくなる。

 吹きだしてはうたい、笑ってはうたう。

 そのうち音程なんかどうでもよくなってしまって、みかこは、キャスケットに負けじと声をはりあげた。するとキャスケットもまた対抗してくる。

 ふたりに挟まれた青年は、たまらず笑いだし、しまいには自ら腕を組んで、一緒になってうたいだした。

 陽気なうた声が、澄んだ青空に遠く、大きく広がっていった。

「ああ、もうだめだ」

 最初に音をあげたのは、キャスケットだった。どさりと地面に倒れこむ。

「腹がへった。いよいよ腹と背中がくっつきそうだ」
「だがくっつかないのが、兄さんのその腹さ。いやしかし、さすがに私も空腹だ」

 シルクハットも、ふううと大きく息を吐きだしてしゃがみこむ。

 自然とすぼんでいく大合唱は、ほどなくして、ふつっととだえた。

 みかこもその場に座りこんだ。土の上であっても気にならない。こんなふうに体の底から声を出したのは、いったいいつぶりのことだろう。じわりと広がる疲労感はとても心地よく、体がからっぽに軽くなったような、爽快な気分を味わわせてくれた。

「とってもすてき。私、こんなに楽しくうたうの、はじめて」

 少女が声をはずませる。けれど彼女は、笑んだまま、すぐに目を伏せてしまった。膝の上で、みつまりを、ころり。聞かせてあげたかったな。その声は、耳ではなくてこころにしみこんでくるみたいだった。

 みかこは、少女をそっと左肩に乗せて、立ち上がった。

「ふしぎだね」

 ぽつり、青年がつぶやいた。

「さみしい君は、消えたかね」

 シルクハットがたずねると、彼は微笑んで、

「まだ、いるんだ。でもね、どこかに隠れてしまったみたい」

 たおやかな飴細工みたいなひとになった、と、みかこは思った。


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