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トガノイバラ #58 -3 異端者たち…21…

「……さっきの子たち、いたでしょ? 伊明くんの乗ってた車に追突した、バンの。あの子たち、じつは前に和佐くんがお世話した子たちなの」

「ギルワーの……?」

「そう。和佐くん、あれでけっこう面倒見のいいほうだから、今でもたまに会って相談に乗ってあげたり話を聞いてあげたりしてたのよ。一人は、彼の紹介でうちにも通ってるしね。……さっき、『できるかぎりの準備をして』って、私言ったじゃない? あの子たちの社員寮が、ちょうど近くにあったから――」

「社員寮、ですか?」

 会社員なんですか、と思わず訊いてしまった。
 すると柳瀬は、違うわよ、と笑って、夜のお仕事、と付け加える。安良井の繁華街で客引きをやっているらしい。

「まあ、それで大急ぎで連絡をとって、集まってもらったの。幸い、連絡先はあの事務所に保管してあったし。うちに通ってる子がいたのも大きかったわ」

 そういえば、事件を記録したものとは別に、年号と五十音が背表紙に書かれたファイルが並んでいた。柳瀬の話によれば、あれが顧客情報であり、通院している子の名から特定することができたのだそうだ。

「それでも、ギリギリだったわね。私たちとほとんど入れかわりで、掃除屋が来てたから」

「ギルワー絡みの現場の掃除屋だ」

 伊明が訊くよりも先に、遠野が簡単に説明をくれた。

 ――まるで裏社会の話だ。掃除の意味は容易に知れる。自分たちは神の矢だと特別だと豪語する人間の所業とは思えない。

 ふつふつと燻りだした熱を、けれど伊明は飲みこんだ。肝心な答えを、まだ聞いていない。

「……あの、それで、和佐さんは」

 沈黙が、一瞬落ちた。

「大丈夫よ。ギルワーの子たちに預けたから、ちゃんと家族のもとに帰れる。弔ってもらえるわ」

 やはり。
 死んだ――のか。

 体が一瞬からっぽになったみたいに、なった。

 指先がかたかたとふるえだし、腕を伝い、足へ移り――四肢から全身に広がっていく。
 伊明は握りしめた左の拳を右の手のひらで包みこみ、つめを立てた。竜巻のごとき感情の渦が喉の奥からせりあがってくるのを、必死に抑えこむ。

 毒だのなんだのと言われても、本当の意味での理解は、たぶんできていなかった。
 琉里にとって危険であるから気をつけなければいけない、言ってしまえばその程度。自分の血で、ああも呆気なく誰かが死ぬなんて――和佐が死ぬなんて――思ってもいなかった。

 現実として突きつけられた、自身のもつ血の脅威。

 それが、伊明の裡をかき乱していく。

「……なんで……そんな平然としてるんですか。なんで……」

 しぼりだすように、伊明がいう。

「人が死んだんですよ。俺のせいで。俺の血を飲んだから」

「落ち着け、伊明」

 遠野の声は静かだった。言葉と一緒にもれた白煙が、宵の空にとけていく。

 伊明は遠野を睨みつけた。
 昏い世界の中で、彼の輪郭に自分自身を重ねるように。向けるべき矛の尖端を定めるように。

「俺が死なせたんです。俺が死なせた。和佐さんを、俺が――」

「そうじゃない」

「そうだろ!」

 感情が、爆ぜた。

 こんなときなのに、あんなことがあったというのに――自分の中に燃えさかる炎は怒りであり、狼煙のごとく立ちのぼる煙は苛立ちでしかなかった。制御のきかない激情に飲みこまれていく。

「なにが『そうじゃない』だよ! そうだろ、そうなんだよ。あいつ・・・の言ったとおりだ、俺には殺人鬼の血が流れてる。俺の血で簡単に人が死ぬ。俺の血が人を――和佐さんを――」

「お前が殺したわけじゃない」

 遠野はどこまでも冷静だった。

「その腕だって、自分で切ったわけじゃねえんだろ」

「そうだけど、でも」

「お前が無理やり、和佐に血を飲ませたわけでもねえんだろ」

「…………」

 伊明は口を引き結んだ。
 握りしめた両手に視線を落とす。

 包帯に血がにじんでいる。傷口がずくずくと熱を持つ。

 鎮まりかけた感情は、それでも大きな火種である。
 痛みを実感すればするほど、血の赤が視界に映えるほど、空気をはらんで勢いを取りもどす。伊明は悔しげに顔をゆがめた。

「……和佐さん……俺の血を見て、嫌だ、って言ったんだ。それだけは嫌だって。なのに――なのに、なんで。なんで……」

「自分から――って?」

 あとを引き取ったのは柳瀬だった。

「無理なのよ」

 伊明は思わず顔をあげた。シートの脇からのぞく彼女の細い肩が、またすくめられるように持ち上がる。

「結局ギルワーは、シンルーの血の誘惑には逆らえないようにできてるの。そうやって作られてるのよ、体が」

 そこで言葉を切った柳瀬は、はーあ、と大きな溜息をついた。

「この際だから白状するわね、伊明くん。私にも、ギルワーの血が混じってるの」

「……え?」

 ギルワーの血が、混じってる?

 すぐに理解できなくてばかみたいに訊き返すと、柳瀬は律儀に、そう、混じってるのよ、と繰り返した。

「純血ではないの。クォーターってところかしらね、私の母がギルワーと人間とのあいだに生まれた人だから。ハーフの母と、人間の父とのあいだに生まれたのが、私」

「柳瀬さんが……」

「なんだ、お前気づいてなかったのか」

 意外そうに遠野が言った。窓の向こうへ濃い煙を吐き、サイドブレーキの後ろに置いてある黒い筒状の容器――たぶん吸い殻入れ――に手を伸ばす。

「とっくにわかってるもんだと思ってたぞ。うちで働いてるってことはそういうことだろう」

「でも遠野先生も……普通の人、だから」

 容器のフタを押し上げ、フィルターぎりぎりまで短くなった煙草の先端を潰していた遠野は、ちょっと手を止め、

「ああ、……まあ、そうか」

 吸い殻を放りこみ、ぱちんとフタを閉めてからがしがしと頭を掻いた。

「といってもね、私のなかに流れている血はほとんど普通の人と変わらないのよ。ギルワーとしてはずいぶん薄い。影響があるのは、そうね、このぴちぴちの美貌くらいかしら」

「……柳瀬さん……」

 力が抜ける。ぴちぴちって――。
 笑えない状況で笑えない冗句を言うのはやめてほしい。

 柳瀬はそれでもうふふと笑って、

「でもねえ、そんな私ですら伊明くんの血を見るとなんだか変な気分になるのよ。採血のときずいぶん気持ちわるいこと言ってたと思うけど、あれ、伊明くん限定なのよ。ああやってふざけてないと、妙なスイッチが入りそうになるから」

 ――いつ引かれるとも知れない、トリガー。

「一応、私もシンルーに対する免疫はつけたのよ。血が薄いおかげか、副作用はそんなに重くなかったし、期間もそれほど掛からなかったけど。……ただ、和佐くんはね……」

 神妙な声で、柳瀬が続ける。

「彼は、もともと血への欲求も強いタイプだったから……伊明くんの血を前にして、どうしようもなくなっちゃったのね」

「……見てたみたいに、言いますね」

 柳瀬にしろ、遠野にしろ、だ。
 事務所で起こったすべてを目撃したみたいに、二人は話す。

「知ってるんだよ」

 遠野がいった。眉間に深くしわを刻んで。

「俺たちは、あの家のことはよく知ってる。さっきも言ったが、お前の父ちゃんからも聞いてるし、ギルワーのあいだでも御木崎家ってのは相当に有名だ。悪い意味でな。……あいつらの『狩り』の仕方は反吐が出るほどえげつねえって聞くぜ。自分たちが手を下すんじゃなく、ギルワーが自ら食《は》むように仕向けるんだろ」

 伊明は頷くかわりに、うつむいた。

 遠野はその横顔をちらと見てから、

「そりゃあ……感情のやり場にも困るわな」

 同情的な声だった。



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*1話めはこちらから🦇🦇


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