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ゆめゆめ、きらり #4

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 青年の小屋をあとにしたみかこたちは、道なき道へと戻っていた。

 前方から、シルクハットの鼻うたが流れてくる。よほど気に入ったものと見えて、くるんとステッキを回してみたり、リズミカルに地面をつついてみたり、足取り軽く、うたう散歩を楽しんでいるようだった。

 一方、その隣を歩くキャスケットは、前にも増してのろのろしていた。お腹をかかえて、はああ、とか、ふうう、とか、溜息ばかりこぼしている。

「大丈夫?」

 まるまった背中に声をかけると、彼は億劫そうに、すこしだけ顔を振り向かせた。

「腹がへった」
「またか、兄さん」

 鼻うたをやめたシルクハットが、非難めいた声を出す。

「だってほんとうに腹がへってるんだからしかたない。おまえだって、腹がへったと言ったじゃないか。ついさっきのことだぞ」
「確かに言ったが、兄さんの無駄なぼやきとは違う」
「無駄とはなんだ」
「だってそうじゃないか。ぼやいたところで、食べものが降ってくるわけじゃない」
「あたりまえだ。食いものが降ってくるか。ばかにするな」

 キャスケットがぷんすか怒りだした。けれどシルクハットは澄まし顔。

「だから、ぼやいたってどうしようもないと……」
「どうしようもなくたって腹はへるんだ。ぐうぐう鳴るんだ」

 弟ネコをぴしゃっと遮って、駄々をこねる。シルクハットが顔をしかめた。

「兄さんの腹が鳴ろうが鳴るまいが、知ったことじゃない」
「おまえはつめたいやつだ。兄弟いち、つめたいやつだ」

 キャスケットが大きく鼻を鳴らしてそっぽを向くと、シルクハットもぷいっとそっぽを向いてしまった。互いに前に出ようと、ずんずん進み始める。後ろにくっついていたみかこも、慌てて歩調を早めた。

「あのふたり、どうしたの」

 せかせか動くみかこの左肩で、ひとたばの髪にしがみついた少女が不安そうな声を出した。

「けんか、したみたい」
「けんか」

 少女はびっくりしたような声を出した。

「家族なのに。ふしぎ」
「家族がけんかするの、ふしぎ?」
「うん。だって私、おばあちゃんとけんかしたこと、ない」

 みかこはちょっと考えてから口をひらいた。

「おばあちゃんと兄弟とは、すこしちがうのね、きっと」
「なにがちがうの」

 すぐさま少女が首をかしげた。
 その答えをみかこは知っているのだけれど、うまく言葉に変えられなくて、ううん、とうなったきりになってしまう。

 少女が続けて口をひらく。

「ねえ、きょうだい、いる?」
「うん、いる。妹がひとり」
「けんかする?」

 みかこは思わず苦笑してしまった。だって自分たち姉妹も、あの兄弟ネコに負けず劣らず、些細なことでそっぽを向きあってしまうんだから。

「うん、する。とっても、たくさん」
「そうなの。ふしぎ」

 少女は、みかこの横顔と兄弟ネコの背中を交互に眺めて、また首をかしげた。

 突然、ふたりのネコが足を止めた。少女との会話に気を取られていたみかこは、あやうくふたりの背中に衝突しかける。

 ふたりのネコは、鼻をひくつかせてきょろきょろした。どうしたの、と聞こうとしたみかこの鼻を、ふと、くすぐるものがあった。ふんわりとあまく、芳醇な、くだものの薫りだ。

「これ、きっとあの果実のにおいだ」

 キャスケットが、ふらりと歩きだした。果実の薫りに誘われて、鬱蒼とした茂みに向かって、ふらり、ふらり。

「兄さん」

 シルクハットの制止も聞こえていない。幾重にも重なる深緑色の垣根をがさがさ掻きわけ、彼はひとり、茂みの奥へと入っていってしまった。

 置き去りにされたみかこたちは、ちょっとの間、ぽかんとそこに立ちつくした。

「まいったな」

 シルクハットが、ぽかんの余韻の残った声でつぶやいて、みかこと少女を振りかえった。

「すまないね、ふたりとも。まったく。自分勝手で食い意地の張った兄には、本当に苦労させられる」

 辟易した様子で溜息をつく彼を見た少女が、むっと眉を寄せた。

「家族のこと、そんなふうに言ったらだめ」

 シルクハットが、目をぱちくりさせた。

「しかし、兄のせいで君たちに」
「また。だめったらだめ」

 ちいさな少女にしかられて、シルクハットは「しかし」と出しかけた言葉をのみこんだ。ばつが悪そうに、帽子を目深にかぶり直した。

 みかこたちは、キャスケットを追って分厚い垣根の奥に入った。キャスケットの姿はすっかり見えなくなっている。そこから先は、シルクハットの鼻を頼りに、果実の薫りをたどって進むことにした。

 奥へ行けば行くほどに、だんだん緑が消えていく。霧とももやともつかないものがしっとりけむって、冬枯れの雑木林みたいな、灰色じみた木の幹ばかりが目についた。
 なのに、はるか上のほうには、葉っぱがたくさん、ちゃんとくっついている。まるで、透明な土の中を歩いているような気分になった。

 自然と口数が減り、沈黙が当然のごとくなったころ、少女が不意に口をひらいた。

「ねえ。きょうだいって、どんなもの」

 シルクハットが振りかえる。

「君は、兄弟はいないのかね」
「うん、いない。けんかをするのは、ふつう?」

 シルクハットは、ふむ、と言って、ステッキの柄をあごにあてて、ちょっと思案した。

「私と兄さんは、いつもけんかをするな。兄弟のなかでもいちばん多い」
「ほかにもいるの、きょうだい」
「いるよ。五人兄弟だからね」
「多いのね」

 みかこが驚くと、シルクハットは「そうかね」と言って笑った。

「あなたは何番目なの」
「四番目だよ」
「彼は?」
「長男さ」
「長男」

 みかこはまた驚いて、おうむ返しをしてしまう。シルクハットもまた笑った。少女はそんなふたりを不思議そうに眺めたあとで、「ねえ、もうひとつ聞いてもいい」と、せがんだ。シルクハットが、「どうぞ、なんでも聞いてくれたまえ」と応じる。

「どうしていちばんけんかをするのに、一緒にいるの」
「ふむ。どうしてだろうな。そうだね、いちばんけんかをするのに一緒にいるというよりも、いちばん一緒にいるからけんかが多いのかもしれないな、もしかしたら」

 少女はますます不思議そうな顔をした。

「それでも、一緒にいるの」
「そう。それでも、一緒にいる」
「ふうん」

 へんなの、と、あとがつきそうな相槌だった。


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