僕のねこ、夏 #7 用品店のさくま…2…

#1へ   前ページへ

 それから週に一度、僕はあの用品店に出向くようになった。というのも、夏がグルメになったのである。
 グルメといっても例の少々高価な缶詰を好むようになっただけなのだが、やはり飯の面倒を見ている以上、その要望には応えてやらなければならない。

 また、用品店で働く彼女が気になっていたというのも少なからずあった。
 飯塚には惚れたかとからかわれたが、べつにそうではない。ただ単純に、気になっていただけである。

 僕は、控えめな彼女のイメージのなかに、いさぎよい、こざっぱりした核のようなものがあると感じていた。

 まず、僕のねこを猫ちゃんと呼ばないことに好感を持った。それから、気は遣うけれども媚びない感じも好ましかった。客と店員ではなく、そこに訪れた人とそこで働く人というそれだけの関係を、嫌みなく成立させてしまえる彼女の人柄に興味をいだいた。

 あの雑多な用品店でせっせと働くに至った経緯とか、それ以外の時間はどのように過ごしているのだろうかとか、用品店の彼女ではない彼女の姿というものが気になった。

 二度目に訪れたときも、彼女はいた。
 僕のことなど記憶にも留めていないだろうと思っていたから、「こんにちは」と親しげに声を掛けられて驚いた。ちょうど、棚から夏の好物となった缶詰を数個まとめて取り上げていたときである。僕はまた缶詰を落としてしまった。

 すると彼女はくすくすと、あの控えめな笑い方をして、すでに用意していたカゴの中に散らばった缶詰をぽいぽい放りこんでいった。

「カゴ、使ってくださいね。入り口にもありますから」
「ああ、はい。どうも」

 カゴを受け取った僕は、缶詰の棚に向き直った。

「喜んでくれました?」
「はい?」

 僕のぶっきらぼうな声に、彼女が首をすくめた。

 飯塚の奥方にも感じが悪いと注意されるのだが、僕は、聞き取れなかったり、このときみたいになにを聞かれているのかわからなかったりすると、こんなふうに聞き返してしまう癖がある。彼女は、それに戸惑ったようだった。

「ええと、首輪」
「ああ」

 納得して頷いた。しかし喜んだのは飯塚である。僕のねこは、まぐろを欲して飯塚を見つめていただけなのである。

 僕はすこし考えてから口をひらいた。

「友人が」
「え?」
「友人が」

 目をしばたかせた彼女に、端的な答えを繰り返した。

「あ、もしかして贈りものにしたんですか。言ってくれれば、プレゼント用のラッピングもしたのに」
「いえ、そうじゃなくて。話のたねに、土産にしただけです」
「両方ともですか?」
「唐草模様のほうだけ」
「からくさ? ああ、どろぼう模様の」

 僕は思わず彼女を見た。そう呼ぶことこそ自然であるかのように、彼女は頷きながら微笑んでいる。
 飯塚とはまた違う類の、不思議な人だと思った。

「もうひとつのほうは?」
「戸棚に」
「つけてないんですか?」
「つけてません」
「そうなんですか。せっかく買ったのにもったいない。もしかして、べつの首輪をしてる?」
「してません。どちらかというと同居人に近いので、そういうのはあまり」
「同居人」

 彼女はそう繰り返してから、ほんのすこしの間をあけてまた笑った。おかしそうに、けれどもやっぱり控えめに。

「じゃあどうして買ったんですか」
「……義理で」

 白状せざるを得なくなった僕は、ひどく決まりの悪い思いをした。一方彼女は、いよいよ堪えきれなくなったのか、ぷす、と不可思議な音を立ててふきだした。

「僕、そんなに変なこと言ってますか」
「いいえ。不思議なひとだなって思って」

 腑に落ちないが、不愉快ではなかった。彼女と飯塚の感性がとてもよく似ているように感じた。

 ふと、深い交流をもつ近しい親族かなにかじゃなかろうかといった考えがよぎったけれど、顔のつくりからして違うのだからそんなこともあるまいとすぐに考え直した。でももしそうであったら、なんておもしろい縁だろうとさらに考え直した僕は、後日、飯塚本人に彼女のことを尋ねてみた。

 残念ながら、ふたりの間には血縁関係はおろか、ひとつの接点すらも見つからなかった。ちなみに惚れたかとからかわれたのはこのときが最初である。

 三度目に訪れたとき、彼女はいなかった。
 そのかわり、気だるそうな声を出す、ひょろひょろ体型のきつね顔の青年が店番を務めていた。彼はレジカウンターに寄りかかったまま、ぼんやりした顔で僕やほかの客の動きを眺めていた。僕は手早く缶詰を取り、両手に重ね、無言で金を払って店を出た。

 四度目以降は、つねに彼女がいた。
 たまたまなのか、きつね顔の青年がいなくなってしまったのかはわからない。わざわざ聞くほどのことでもなかったし、彼に対してそれほどの興味もわかなかった。

 彼女は僕がいるのを見つけると、かならず、笑いながらカゴを持ってきてくれた。僕はその親切に素直に甘えた。それから僕のねこのことをすこし話して店を出るというのを繰り返した。

 あるとき、彼女が、初めて僕のねこ以外のことを話題にした。

「この前あなたが言っていたこと、私、すごく心に残っているんです」
「はい?」

 彼女は首をすくめるかわりに、微笑んだ。

「ずいぶん前のことなんですけど」
「僕、なにか言いましたか」
「猫のことを同居人って」
「ああ。そんなに変でしたか」
「いえ。いえ、違うんです」

 彼女は慌てて手を振ってから、相変わらず雑然と並んでいる首輪の棚を眺めた。

「猫、もともと野良ですか?」
「そうです」
「今も外に出る?」
「ええ、出ます」

 彼女は沈黙した。僕は、ちいさく揺れる黒い瞳を横から眺めながら、彼女の言葉を待った。

「実家で、猫を飼っていたんです」

 ぽつんと落ちた彼女の声は、いつもと様子が違っていた。
 初めて語られる彼女自身の話に強く興味を惹かれた僕は、邪魔にならないよう、ただ耳を傾けた。

「ずっとちいさいころです。タマって名前で、私が生まれる前から家にいた猫です。祖母が、ケガをしていた野良のタマをひろって手当をしてやったらそのまま居ついたって言っていました。
 タマもしょっちゅう外に出るし、首輪もしていなかったんですよ。だからか私、タマがペットっていう感覚がなかったんです。でも家族っていうのもどこか違ってて。うちに一緒に住んでいる猫で、ええと、なんていうのかな、たまに遊びに来るいとこのおにいちゃんみたいな、そんな感覚に近かったんだと思います。
 こういうところでお客さんと話してると、やっぱりみんな、ペットとして可愛がってたり、自分の子供とか家族っていう感覚を持ってるんですよね。それが、なんだかよくわからなくて」

 僕は黙って聞いていた。共感の言葉も相槌さえも邪魔になるような気がして口にはしなかった。

 彼女は、そこでちらりと僕を見てから顔をうつむけた。

「私、タマのことを大切に思ってなかったわけじゃないんです。でも、ほかの人たちに比べたらって思うと」
「それは……」

 勝手に飛びだした声に、僕は慌てて口を閉じた。彼女はすこしの間、続きを待っていたけれど、僕の言わんとしたことは伝わったようで、強張っていた頬をわずかに緩めた。

「あなたが同居人って言い方をしたとき、不思議だなって、おもしろいなって、思ったんです。頭の中で何度も繰り返しました。それで、気づいたんです。きっと私も、そんな感覚だったんだろうなって。あなたが猫を大事にしているのがよくわかるから、すごく嬉しかった。そのことを、どうしても伝えたくて」

 はにかんだ彼女は、その結論で話を締めた。

 僕は黙ったまま、彼女の横顔を眺めて呆けた。それを聞いて、どんな言葉を返すべきかわからなくなってしまったのである。

 そうか、とは思った。けれど、それだけである。
 懸命に話してくれた彼女にそう答えるだけでは、どうにも申し訳ない感じがした。

 僕の考えを言おうにも、僕が僕のねこに対してどんな「感覚」でいるのかなど、このときまで考えたこともなかったし、なんとなく同居人という言葉がしっくりくるからそう言っただけであって、それが他人と比べてどうのこうのなんて、これまた頭の隅にも浮かばなかった。

 窮した僕は、やっぱり口をひらけないまま彼女の顔を眺めていた。

 すると彼女は、いきなり申し訳なさそうな顔つきになって僕を驚かせた。変な話をしてごめんなさい、と、なぜだか謝られた。それに対して僕は、いえべつに、なんて素っ気ない返事で終わらせたような気がする。

 その一連の態度が良くなかったのだろう、彼女は朱色に染まった顔をうつむかせ、愛想程度の笑みを浮かべたまま、僕からすっと離れていった。

 僕は声をかけることも追いかけることもしないまま、ぼんやりと、棚の向こうに消えた彼女の背中を眺めた。

 会計のときも彼女は気まずそうにしていた。僕もまた、なにを言ったらいいのかわからなくてひどく気まずい思いをした。

 重たいビニール袋をぶら下げて外に出た僕は、一駅分を歩いた。

 澄んだ空の下ですっかりはだかんぼうになった街路樹を眺めながら、そういえば夏と暮らして四年と少しが過ぎたな、とそんなことを考えた。

 胸の奥底に彼女に対するほんのりとした罪悪感を抱えていた僕は、冬の空気をめいっぱい胸の中に取りこんで、次に行くときまでになにかしらの答えなるものを用意して、それと一緒に無礼を謝ろうと決めた。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?