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盆踊りに学ぶ体験のデザイン

少し前に盆踊りに行ったんですが、すごく楽しかった。
引っ込み思案なはずの日本人が老いも若きも関係なくみんなで踊り狂う姿は、間違って天国の敷居を跨いだかなぁ?と思うような不思議な光景でした。いろいろ観察していると、参加者の楽しむ姿勢を引き出すためにいろいろデザインが埋め込まれているなぁと感じたので、その忘備録です。


●ハレの世界に入るための導入

そもそもは盆踊りに行く予定があったわけではなく近くの公園で、いろいろ作業をしてました。6時を過ぎた頃、遠くの方から音楽が聞こえてきて、「今日何かやってるんだ」と初めてそこで知りました。
会場に近付いていくと、だんだん大きくなる音楽。僕はこの音楽がうっすら聞こえてくる、お祭りの境目が結構好きです。

この場合音楽が、日常と非日常を緩やかに分ける境目として機能していて、盆踊りに向かうワクワクを演出し、入場口みたいなもので明確に分けるのとは全く違う体験を作り出しています。この緩やかにハレの世界に入っていく仕組みがすごく重要で、この導入があるからこそ日常生活の真面目さを取り払うことができるんでしょう。

似たような話で思い出したのは、根津美術館でした。ここも入り口に向かう前に無駄に長く軒下を歩くように導線が作られています。少し薄暗くて緊張感のある整然とした道を歩く時間が、美術館の世界観に入っていくための心の準備をさせてくれるとてもいい体験でした。


●みんなで同じ踊りを踊ることの許し

すごく素敵だなぁと思ったのは、普段真面目なんだろうなぁという感じのお父さんが、4・5歳くらいの小さい娘さんと一緒になって踊っている光景でした。なんとも幸せ。
きっと普段は踊りを踊ることのない人たちも、心から楽しめるのにはみんなが同じ踊りをやっているからというところが大きいように思います。

音楽が流すので自由に踊ってください、だと途端にハードルが上がる。老若男女問わず地域の人みんなで楽しめる、ということが重要になった時、この丁寧な補助線があるかないかで見て終わるだけでなく、参加までを促すことができるんだと思います。

話はずれますが、「ダンシングヒーロー」が盆踊りの曲として踊られていることが衝撃でした。友人に後から聞いたら愛知県では定番らしいです。僕も世代ではないですが、きっと踊っている子供にとっては、「盆踊りの曲」という認識なんでしょう。同じ曲を同じように踊ってるけど、そこにある思いは世代(もっと言えば人)によって、全然違うんだろうなと思うとすごく面白い。全然伝統を感じさせないものも、受け入れていく柔らかさが、みんなで楽しめるコツなんだろうと思いました。


●非日常に没頭するための薄暗さ

会場を一回りして気づいたんですが、(意図的かはわかりませんが)明るい空間と薄暗い空間がかなりよく使い分けられいたように思います。飲食を提供するブースは明るく、盆踊りのヤグラも明るい。その間にあるみんなが踊っているスペースは薄暗い。

アートボード 5

これも薄い匿名性というべきか、逆にちょうどいい無関心というべきか。存在はしているけど、その人の表情はなんとなく読み取りづらいみたいな状況が非日常に没頭するために機能しているんだろうと思います。

遠い昔、親が家に訪ねて来たときに、彼女が部屋に急にやってきて気不味い思いをした。みたいなことがあったのを思い出しました。踊っているハレの場の自分と普段真面目に生活しているケの場の自分が不要に混じり合わないようにわざわざ薄暗くしてくれてるんだろうなぁと推察しました。


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染み付いてる文化から学ぶことってたくさんあるなぁと最近よく思うことがあります。普段僕はグラフィックのデザインが基本で、それ以外の領域に染み出せることがあまりないわけですが、こういうフィジカルな体験のデザインってすごくパワーがあるなぁと感じました。
それから参加者が自然に主体を発揮してしまうような補助線のデザイン。こういうものづくりがしたいと常々思っています。

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