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守りたいほどの自我はあるんか?

自我〜崩壊する〜と思いながら今日を生きた。

だけどふと思った。
ハテ、守りたいほどの、崩壊することができるほど確立した自我なんて、そもそも私にあったのか?と。

そしてあれは残業中…寺山修司節で、空から声が降ってきた。

守りたいほどの自我は在りや

と。

結婚もしていない子どももいない、
だれもがうらやむ特技もないけれどそこそこ恵まれた環境で息ができていて借金もしていない、
トラウマというほどの過去もない波瀾万丈な人生とも言い難いかわりにドラマチックなできごともない平々凡々敷かれたレール一択!な、
でもたぶん総合するととても幸福であろうちっぽけなわたしの人生。

目下のところくよくよとなやんでいることはたぶん宇宙からしたら砂つぶよりも瑣末なことで、
わたしがじたばたと転げまわったところできっとホコリひとつたてられないだろう。

けっきょくのところなにもかもが文句ひとつなく、悲しいことつらいことひとつなく生きていくことなんて無理なのだから、少しずつあきらめて、その中で見つかった素敵なものに対してよろこんだほうがずっと幸せになれるよねきっと。

あってないような自我なんてバキバキにされたって大したことない、死ぬこと以外かすり傷
(めちゃくちゃただのかすり傷に対して言ってるだけなので、もうすこし酷い負傷をしたらきっと私はおおげさに転げまわり泣き叫びまわります。そういう人間です私は。)

おう!どこからでも自我バキバキにしてこいや!
かかってこい!やったろやないかい!

の気持ちの月曜夜。

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