見出し画像

小説『犬も歩けば時代を超える』(1話目)

1話 犬千代、世は戦国。

「お母様、私はこの戦がたとえ勝つことがなくても、父や兄に続いて戦いに行ってまいります」

世は戦国の最中。

小さな小さな国の城主である小田家の小田雉吉の次男犬千代は、城の一室で母の桔梗の方に挨拶をした。
甲冑姿に目は床を睨んだままで、顔を上げようともしない。
母の桔梗の方は中腰になったり座ったりしながらオロオロしている。いつも冷静で落ち着いている桔梗の方には珍しい行動だった。

「なにもお前まで行くことはないでしょう。確かに武功は立てたいかもしれないが、お前にもし万が一があれば、小田家は家督を継ぐものもいないのですよ?
第一、お前はまだ十になったばかりではありませんか。戦場に出て何ができるというのです。」

犬千代はハッと顔を上げると、母親の目をしっかりと見た。
まだ、本当に自分が死の狭間に出かけるということなど、分かってはいない感じだ。
今まで城からあまり出たこともないのだから仕方ないが、自分にも父や兄のような力が既に備わっているとでも言いたそうな口元をしている。

「いいえ、犬千代。武功どころか、他のものが必死で戦うところに邪魔をするようなものです。戦は命がけのもの。遊びではありませんよ!」

桔梗の方は続けて声を絞り出すように言い続けた。が、

「お母様、私はこの戦を『勝つことが無くても』などと言うものではありませんでした。この戦を私の知恵と勇気で勝利へと導いてまいります」

犬千代はそう言うとスクッと立ち上がりクルリと回れ右をして、そのまま部屋を出てしまった。
呆然としたままの桔梗の方を残して。
犬千代は爺やに甲冑を整えさせると愛馬にまたがり、10歳とは思えないような颯爽とした様子で戦場へと走り出た。
確かに城内とはいえ、兄や家臣の若者たちを相手に武道にあけくれただけある姿だ。

しかし犬千代は、母・桔梗の方の元へは戻らなかった。
桔梗の方と別れた数時間後には、たくさんの屍の中の一つになって、そして朽ちていった。武将だろうが歩兵だろうがかまわない、死という血と肉と骨の塊りの中に。

犬千代の魂は後悔していた。

「私はなんて馬鹿なことをしたのだろう?お母様を残して。
あんなに泣いて憔悴しているお母様の背をなでてあげることもできずに、今私は死のど真ん中にいるのだ。
武功どころか、父や兄の魂にまで思い上がるなと言われているようだ。
実際確かに、自分が何様だと思っていたのだろう。魂だけになっても後悔は尽きない。」

犬千代の魂はため息をついた。
桔梗の方が城を脱出した後、憔悴のうちに尼になり、ひっそりと暮らす様子も魂の姿のまま見ていた。
その後の桔梗の方には付き人のお梅が一人いるだけ。人家もあまりない土地の、朽ちそうな小さなあずま屋。
付き人のお梅がいないと、桔梗の方は井戸の水さえも汲むことができないほど不器用で力がない。

「水を飲むのも大変だわ。
今まで姫様と呼ばれ、桔梗の方と城では大事にされてきたけれど、生きていくのに必要なことすら満足にできないなんて。
ご飯を食べるのも、掃除をするのも、お梅がいなければ全くできない。犬千代を叱る資格もなかったわね。帰る実家の後ろ盾もない私は戦国の世に生きてはいけない。」

桔梗の方は深々とため息をついた。
人間はどんな身分であれ、自分が生きていくだけの必要なことは出来なくてはいけないのだなとしみじみ感じていた。
思えば長男が戦に駆りだされてしまったのは仕方がないが、たった10歳の犬千代まで戦に行くなんて言い出したのは、人としての生き方ではなく戦のための武術練習にあけくれさせてしまったからだとも思った。

戦の後、桔梗が逃げ延びる際に見た死体の数々は、敵も味方もかつては「人間だった」というただの肉片にすぎない。
人を殺すのも、自分が命を落とすのも、なんて虚しいことだろうと、心の傷に塩をすり込むように感じた。

「今度犬千代にめぐり会える日がきたら、今度こそ本当に大切なことを教えてあげたいし、もっと一緒にいたい」

井戸端で桔梗の方は、またため息を付きながら独り言を言った。それを魂のまま犬千代はすぐそばで聞いていた。

「お母様、今度こそ私はお母様のおそばにずっといます。そして、命を大切にして、お母様を悲しませることはしません」

深い深い後悔と反省の念をもって大粒の涙を流した犬千代。その横には、いつの間にか黄泉の国の閻魔大王が来ていた。

「いつ死の国へ戻ってくるかと思っていたが、まだこんなところでブラブラしておったのか。
仏がお前の涙を見て、母親に返してやれというのだ。本当に反省しているからだと。
しかし既に死んでしまったお前は、そんな簡単なわけにはいかない。生きていた肉体は朽ち果てているのだから。」

閻魔は一息吐き出すと、こう言った。

「お前の母親はこれから年をとって死ぬ。その後数百年後に生まれ変わる。
一方お前は殺生をしたので、二度と人間には生まれ変わることはできない。
また、本来何かに生まれ変わっても、母親との感動の再会などは有り得ない。生まれ変わる時代のタイミングもバラバラになるからな。」

犬千代は下を向いてしまって、閻魔大王に小さく
「はい」
と言った。そして、
「覚悟はしております。人間としての一生をおろかに過ごしてしまった報いです」
と、苦しそうに答えた。
「まぁまぁ、そんなことを言っても」
閻魔は前を見たまま、犬千代の顔を見ずに言い続けた
「仏は一度言いだすときかなくてな。面倒この上ない。
お前を母親に再会させてやれとずっと言い続けるだろう。
お前も鬱陶しくその純粋な涙を流し続けるだろうし。」

閻魔は犬千代を振り返った。

「お前犬千代は、この先数百年後の桔梗の方の生まれ変わりと同時期に再び生を受け、桔梗と再会する。しかし、その母親への思いを伝え、自分だということを伝えるのはお前の努力にかかる。」

犬千代の顔がパッと輝いた。

「努力します。何でもします。お母様へ自分の気持ちを伝えられるなど、願ってもないことです。」

これが犬であったら、尻尾をブンブンと振っているところだろうというような光景だ。
閻魔はあまりの無邪気さに思わず笑みを浮かべ、そしてすぐに恐ろしい顔になって言った。

「お前は生まれ変わり母親に再会するが、生まれ変わるのは『犬』だ。
母親は人間の女性に再び生まれ変わる。
言葉が通じない、再会するが犬の寿命は15年くらいがせいぜいだ。その間でどうやって自分を伝えていくのか、どう母親と過ごしていくのかは、お前に任せる。
これは例外中の例外の沙汰であって、今後は二度とこんなチャンスはないと思え」

閻魔はそう言うと身をひるがえして風のように消えた。

犬千代はその後、母親の桔梗の方が数百年後に人間の女性として再び生まれ変わったのを見届けた後、犬として地球上へ降り立った。

(2話に続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?