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【年齢のうた】ムーンライダーズ その5 ●30代から中年期、晩年…そして死への意識

初秋、ってほど秋っぽくないくらい暑いけど。いちおう秋ですね。

僕は、阪神タイガースのマジックの行方を気にしています。今夜の全試合終了時点でM13ですな……近々、阪神に関連した僕の取材記事が出ます。
まあ甲子園でアレを決めるのが一番でしょうね。
自分は目の前で目撃する可能性も模索しております。

神宮球場に観戦に行ったカミさんが
おみやげで買ってきたキー太のタオル~

ムーンライダーズは、白井良明さんが東京ヤクルトスワローズのファンなんですよね。良明さん、昔はなぜか街中でよく目撃したな。渋谷の昔のタワーレコードで鉢合わせしたり(今回書く『A.O.R.』の発売前で、感想を伝えた記憶)、とある乗換駅でお見かけしたり。

ムーンライダーズは5回目の今回で、ひとまず区切りです。

家庭を持つ男の逃避願望が表れた楽曲「DON’T TRUST ANYONE OVER 30」のリアルさ


1986年発表のアルバム『DON’T TRUST OVER THIRTY』、通称『ドントラ』。これはライダーズ史上に残る傑作にして、壮絶作となった。バンドはこの年で結成10周年を迎えながら、アニバーサリー気分に浸ることなどほとんどなく、メンバー6人が身体を張った活動を展開した。

このアルバムのタイトル曲と言える楽曲「DON’T TRUST ANYONE OVER 30」は聴く者の心にぐさりと突き刺さる歌だ。
歌詞を書いたのは鈴木博文。作曲はE.D MORRISON、つまりムーンライダーズ全員の共作である。

サウンドのほうは腰が入ったビートが力強く響く、ニューウェイヴ経由のファンクネスをたたえたもの。サビ付近ではメンバーたちのコーラスも相まって、高まっていく感覚が訪れる。

一方、歌詞の舞台は、ある家庭の父親を主人公としている。この「パパ」は、前日の朝食の席で子供に対し、自分は家に帰らないと伝えている。その後、次のヴァースでは自分がいなくなることを彼女(浮気相手?)に、そして2番ではそれを妻にも伝える。そうした中でタイトルと同じ、つまり「30歳以上は信じるな」という意味のフレーズが何度も叫ばれていく。

この歌が生まれた背景について、鈴木兄弟は次のように語っている。再び、鈴木慶一の著書『火の玉ボーイとコモンマン 東京・音楽・家族 1951~1990』からの抜粋を書きだそう。話はボブ・ディランの映画『ドント・ルック・バック』のことから……(前回紹介した箇所とのかぶりあり)。

慶一--闘争するポップスターとしてのディランの姿がとてもリアルだったんだよ。
そのリアルさが、この時代に必要だと思ったんだ。このふやけた八〇年代後半の日本に。

だから、今度のアルバムはリアルにいこうと思ったんだよ。
音楽生活を一〇年やってる、もう全員三〇を過ぎたムーンライダーズのリアルさを見せつけてやると思ったとき、「三〇を過ぎたやつのことを信じるな」という有名なフレーズを思い出したんだよ。これだ。「DON’T TRUST ANYONE OVER THIRTY」、これで決まった。

博文--慶一に頼まれて、その詞を書いた。

慶一--これはグレードの高い詞だ。時間がかかっていると思う。「昨日の朝 トーストを食べて」という最初のフレーズを書くのにもそうとう時間をかけているんじゃないかな。

博文--それはどうかな(笑)。


ところで鈴木慶一は、この重要な曲の歌詞を、なぜ自分ではなく、弟である博文に依頼したのだろう? その理由は述べられていない。
僕が思うのは、この2年前に博文が「30」を書いていたのが念頭にあったのではないかということ。つまり、30歳という年齢への意識を曲にしていた人だからだ。

そしてディランの映画に影響されて思いついたこのタイトル……アルバム、楽曲、ともに「30歳以上は信じるな」という言葉は、1986年時点で全員が30歳を超えたムーンライダーズが自分たちのリアルさに向かうように仕向けるものでもあった。

ここで鈴木博文が描いたのは、30代の家庭持ちの男が、その環境から逃避しようとする心情である。彼は、車を飛ばし、海辺で(なんと)砂を食べ、線路を歩いて、枕木に腰を下ろしたい、という思いを吐露する。
曲調は快活なビートの上でメジャーコードが続くが、表現されているのはこのような現実からの逃避願望なのだ。そこでリフレインされる「30歳以上は信じるな」のコール。大人として責任をとらなければならないはずなのに、それに立ち向かいきれない自分自身……。
現実では、これ以前の鈴木博文は、どうやら家庭を持ちながらもその生活から離れ、妻子と別れて生活していたようである(前々回に紹介した書籍『僕は走って灰になる』の中にそうした記述が存在する)。その意味でも非常にリアルで、歌の描写の根底にその痛みとせつなさが流れている。

この歌を含むアルバム『ドントラ』は、楽曲が粒ぞろいだ。すでに紹介した「9月の海はクラゲの海」や「だるい人」の秀逸さはもちろん、かしぶち哲郎のポップなインスト曲「CLINIKA」(のちにヴォーカル入りバージョンも発表)、白井良明のシュールな「超C調」。レコードだとB面には鈴木博文が書いた叙情的な名曲「ボクハナク」(後年、及川光博がカバー)、武川雅寛によるロマンチックにして渋めのミディアムナンバー「A FROZEN GIRL,A BOY IN LOVE」。メンバー全員が質の高い楽曲を持ち寄り、充実した演奏を聴かせている。

これらに加え、鈴木慶一が書いた重要曲が要所に配置されている。
彼は「マニアの受難」においても、自分たちのあり方に牙を向けている。オタクという言い方がまだなかったこの時代に、ニッチな、スキ間的な趣向のモノに過剰なこだわりを注ぐ、つまりマニアックな人間の姿を看破した問題曲だ。それははからずも、ムーンライダーズというバンドを取り巻いてきた者にも鉄槌をくらわし、また、自分(たち)自身にも激しく問いかける構造になっている。

アルバムの最後にたどり着く、鈴木兄弟の共作詞である「何だ?この、ユーウツは!!」はさらにすさまじい。この歌では鬱に襲われ、精神のコントロールを失った主人公が、その混乱の中で自分の孤独感を思う。そこでジョン・アーヴィングが書いた『ガープの世界』(この4年前に映画化)を重ねながら、人生そのものについて唄っていくのだ。

前作『ANIMAL INDEX』の「歩いて、車で、スプートニクで」や先の「マニアの受難」に続き、これもまた重層的な構成と音像の楽曲となっている。そして何より、こちらもテーマがヘヴィ極まりない。

それでも「何だ?この、ユーウツは!!」には、ほんのかすかながら、希望が横たわっている気がする。

僕はこのアルバムのツアーを大阪で観て、そのクライマックスの重たさに完全にやられてしまった覚えがある。当日の鈴木慶一は高熱を押しての演奏だったが、それでもライダーズのパフォーマンスには鬼気迫るものがあった。

鈴木慶一の盟友であるあがた森魚ともども、どこかモラトリアムな雰囲気もあり、大人の年齢になっても少年性を失わない部分を持つムーンライダーズ。僕は10代後半に、そんな彼らの音楽にのめり込んだ。
しかしこの『ドントラ』では、そのメンバーたちの年齢をはじめ、ここまでの自分たちのあり方、さらには人生というところまでを極限までリアルな表現をすることで突き詰めたのだ。

こうしてこの年にバンドとして過熱しすぎたのか、彼らはここから5年間、活動を停止してしまう。

40代の鈴木慶一が唄った死と晩年


ムーンライダーズの活動は、時期によって何年かごとに分けることができる。中でも、この1986年までと、その次に始動するまでは大きなインターバルとなった。この間もメンバー各人はソロや別プロジェクトでのリリースや活動を続けたり、他のシンガーやバンドのプロデュースやアレンジ、楽曲提供などで動いていたが、ライダーズの作品としては5年もの間、新作が何も出なかった。
そこからついにバンドが復活したのが1991年のこと。これ以降の彼らはライヴやアルバム発表など、多くの話題をふりまき、メジャー各社を渡り歩きながら、時代ごとにクオリティの高い作品をリリースしていく。

その中で【年齢のうた】としては、この最初のほう、東芝EMI時代の2枚のアルバムについて触れておきたい。
この2作には、中年期を迎えた人間の心理が垣間見える。当時、鈴木慶一は40代に突入する段階にあった。

まず1991年の『最後の晩餐』。休止からの復活アルバムなのに、いきなり序盤で、死について唄っている。
その曲は「Who’s gonna die first?」。
誰が先に死ぬか? というわけだ。

作詞は鈴木博文で、作曲は白井良明。当時のハウス的なアプローチに良明の爆音ギターを乗せたバンド・サウンドは突進力満点である。
この歌で鈴木博文はやはり家庭の光景を描き、その現実の厳しさの中で逡巡する主人公<ぼく>の心理を綴っている。やはり親の立場である彼は、愛にこだわり続け、お前たちを残して先に逝けない、と叫ぶ。

さらに鈴木慶一は、アルバム終盤の「10時間」で、それまでの自分の人生を唄っている。
自由だけど何もできなかったのが1969年……つまり、18歳になる年。そのあとには、30代になりたくなかった10年前にも言及している。

当時の僕はまだ20代だったのでわからなかったが、中年と言われるような年齢になると、何かと過去を振り返ることが多くなるものだ。それは、イヤでも。自分の出自とか、育ちとか、環境とか、やってきたことを思い出したり、再認識、再確認したり。
そういえばこの時の自分はやはりムーンライダーズのライヴに通っていたのだが……たとえば日清パワーステーション(1万円ライヴ)とか、NHKホールとか。そのNHKホールのステージ上で鈴木慶一が「バンドは歳を取ると、楽屋でつい昔話をすることが多い(笑)」と語っていた記憶が、おぼろげながら、ある(蛇足だが、このNHKホール公演はBSで放送された。そのオープニング、静寂の中から現れた彼らに向けた拍手を一番最初にしはじめたのは、僕だ)。
それにしてもこの年代で死を意識するとは、相当な思いがあったのだろう。この頃は40代なんて、音楽シーンではかなり上の世代だったと言っても、だ。5年という時間を経ての復活にあたり、彼らにはそれだけ身を切るような緊張があったのではないだろうか。

バンドはこの翌年の1992年に、次作アルバム『A.O.R.』をリリース。鈴木慶一は、ここでも人生を回想している。楽曲「現代の晩年」において。

ぼくが生まれた頃は~、と始まるこの歌では、彼が育ってきた昭和時代の思い出が唄われている。科学に化学、十代の半ば……。
当時、そんな中でも注目された歌詞は、左手に持つジャーナル、右手にあるパンチ、の箇所。これは『朝日ジャーナル』、『平凡パンチ』のことを指している。ともに1960年代の若者には重要だった雑誌である。
後半には、現代は昔から晩年抱えてる、と印象深い言葉が唄われ、自分自身だけでなく、世の中が晩年を抱えていることを綴っている。そして曲の最後には、I nearly die、というフレーズが唄われる。
またしても、死への意識。いや、覚悟と言うべきか。

そんなアルバム『A.O.R.』が、もう31年も前の作品なのだ。

なお、2003年にはKERAが主宰するナイロン100℃が、ライダーズのアルバムにインスパイアされたミュージカル『ドント・トラスト・オーバー30』を上演。リリースから17年を経ての舞台化となった。ここでは鈴木慶一が音楽監督を務め、バンド演奏には鈴木博文も参加した。
この10年後に鈴木慶一とKERAはユニット、No Lie-Senseを結成している。

ムーンライダーズは、2000年代に入っても活発に動き続けた。その頃になると鈴木慶一は「DON’T TRUST ANYONE OVER 30」をライヴで演奏する際、後半の歌詞を変えて唄うようになった。サビのくり返しを、over 30からover 40、over 50、over 60……と年齢をだんだんと上げていくのだ。
このバンドの自己批判的な視点は失われていないのである。

ここまでの間には、バンドの活動休止とか、その休止の休止(つまり活動再開)もあった。山あり谷ありで、ここまで来ている。

前に書いたように、亡くなったメンバーもふたりいる。新たにドラムスには夏秋文尚を迎え、また、澤部渡(スカート)と佐藤優介(カメラ=万年筆)といった下の世代のサポートメンバーを常に入れるようにもなった。

現在のムーンライダーズは、コロムビアに所属しながら、活動を継続中である。

先頃、鈴木慶一は72歳になった。30歳になりたくなかった彼が、今や70代。弟の博文は69歳である。
バンドの歩みは、もうすぐ50年に達しようとしている(松本隆も在籍した前身のオリジナル・ムーンライダーズから数えると、すでに50年超だ)。

それでも彼らは今も、自分たちへの厳しい視線と批評的な視線をなくすことなく、音を鳴らし続けている。
心の中に、赤い薔薇を携えながら。

島根県雲南市の実家の母親から送られてきた
町名産のシャインマスカット。
爽やかで豊潤な味わいに
カミさんが喜んでいる

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青木 優
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