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岩波文庫チャレンジ38&39/100冊【失われた時を求めて5・6巻】

前回一つ壁を乗り越え、5・6巻は順調に読み進められた(少し薄いしね)

主な物語
・5巻、ゲルマントへ引越、兵営ドンシエール訪問
・6巻、ヴィルパリジ夫人のサロン、祖母の衰弱


5巻読みどころ

ストーリーとしての主な内容は上の通り。ドンシエール訪問、サン=ルー戦術談なども良いけれど、読みどころといえば次の4点になるのではないかと思う。

①擬人化ホテル
②音と視界
③睡眠と夢
④祖母との電話

全部良いので、一つずつおさらいしたい。

①擬人化ホテル

ホテル全体が「まるで生きもののように感じられた」「この住まいは、部屋の集合体であるとはいえ、人間の集まりと同じように生命を備えた実在」であるとして、次のような表現が出てくる。

壁は、四方から寝室を抱きしめるようにとり囲み、寝室を他の世界から隔離したうえ、寝室の仕上げとなるものをそこにとり入れて封じ込めるためか、身を引いて書棚の場所を空けたり、ベッドを置くへこみを確保したりする

「さあ、引き返して。でも、いいこと、自宅にいるようにくつろいでね。」そのあいだも、ふんわりとした絨毯が負けじと、今夜もし眠れないようだと裸足でやってきてもいいとつけ加えてくれるし、田園を眺めている鎧戸のない窓という窓も、自分たちは一晩じゅう起きているのだから、どんな時刻にやって来てもだれかの目を覚さないかと心配する必要はないと請け合ってくれる

こういった想像の世界は、だれからも裏切られる事のない真に純な世界。だからといって想像の世界に生きることはできない。この物語の主人公「私」にはたくましい想像力があるように思う。

②音と視界・・理解を頑張った節

「懐中時計のコチコチという音が聞こえた」から展開される音と視界の関係。

このコチコチと言う音がひっきりなしに場所を変えるのは時計が目に入らないからで、音が聞こえてくるのは私の後のようにも、前のようにも、右のようにも、左のようにも感じられ、ときにはすっかり音が消えて、ずっと遠くにあるかと思える。突然、私は机の上に時計を発見した。すると、コチコチと言う音が一定の場所で聞こえるようになり、もうそこから動かなくなった。私はその場所から音が聞こえてくると思い込んでいたが、そこで音を聞いていたのではなく、そこに音を見ていたのだ

1人占いをしていて、カードの音が聞こえなくなると、自分がカードを動かしたのではなく、カードがひとりでに動いてこちらの遊びたい気持ちの先回りをして我々と遊び始めたのかと思える

うむ、ここまでは分かる。後述されるように「音もなく動く物体は、生きているかと思える」のである。

難しいのは次。最初読んだ時は「へ?」だったが、なんとか理解したいと思い、何度も何度も何度も何度も読み返した。

そうだとすると「愛」の場合も、騒音に対してそれが止むのを願うのではなく、自分の耳を塞いでしまう人たちのように振る舞うべきではないのか。我々の注意、防衛策をおのが内部に振り向けて削減を図るべきは、我々が愛する外部の存在ではなく、その存在のせいで苦しむわれわれの能力の方ではないだろうか

現在の自分の理解では次のように読んでいる。「想像力のたくましい私」を念頭に置いているので、違う読み方の可能性もある。あくまで個人の見解(笑)

誰かを愛した時、騒音(例えば愛する人が私でなく、他の誰かを好きなのではないかと疑って不安になる)が止むのを願うのではなく、自分の耳を塞ぐように振る舞うべき(不安を抑えるべき)は、愛する外部の存在ではなく(愛する人にどうこうして欲しいとか思うのではなく)、その存在のせいで苦しむわれわれの能力(愛する人のせいでたくましくなる想像力という能力の削減)ではないだろうか。

ゼーゼー・・疲れる

③睡眠と夢・・理解を諦めた節

続いて音が止んだ時の考察へ移っていく。

音が鎮まると、睡眠を守るのではなく、時には妨げることさえある。(中略)ため息のようにかすかな音でさえ他のどんな音とも関係のない不可解な音として聞こえることがある。一体何事かと考えるだけで目が醒めてしまう。

これは経験ある。分かる分かる分かる。

目覚めてふたたび考えはじめたとき、われわれの内部に体現されるのが、なぜ前の人格とはべつの人格にならないのか?(中略)なにゆえ前日の人間を見つけ出せるのか不思議である。(中略)なにがわれわれを導いているのか?

ふむ、そんな風に思ったことないけれど、言わんとすることは分かる。分からないのは次。

目覚める際のー眠りというこの恵み深い精神錯乱の発作の後のー復活と言う現象は、つまるところ、人が忘れていた名前や詩句や反復句を思い出すときに生じることと似ているに違いない。そうだとすると死語の魂の復活も、1つの記憶現象としてなら理解できるかもしれない

魂の復活が分からない・・えぃい!諦めたワ

④祖母との電話

当時貴重だった電話から不吉な未来を予期する「私」。そして物語はそのように進行していく。「こんな近くで声がするからには現存するというほかないが、ー実際には遠く引き離されているのだ!だがこれは永遠の別離を予告しているのではないか!」

その声を私がよく知っていると思っていたのは間違いで、それまでの私は祖母から話しかけられるたびにその発言を祖母の顔と言う目が重要な位置を占める開かれた譜面上でたどっていたに過ぎず、祖母の声そのものを聴くのは、今日が初めてだったのである

今では当たり前の電話。普通なら距離が近くなったと思えるところ、その物理的な距離から永遠の別れを想起する、逆の発想

ここで、音だけの世界、視界から解き放たれた世界(顔を譜面に例えるのが面白い)では普段の圧力から解放されて、「祖母と私のお互いの愛情」を認識、「祖母からゆっくり滞在するように言われると、私はなんとしても帰りたいという不安な欲求に駆られ」て急遽帰郷する。ちょっと温かいエピソードでもある。

ここまで紹介してきた①〜④、こういった精神世界は面白く読めても、実は普通の会話になかなかついていけていない。そう。何気ない会話が難しい。当時の社会背景や人物を知らないと味わいきれない(気がする)。

6巻、二面性

先ほど5巻読みどころとして堂々4つ挙げたが、ここで白状すれば、これは全て訳者あとがきを読んで、はたと認識し、読み返した箇所である。

読んでいる最中にほぉ〜とは思うが、「今ここ」がプルースト作品の要ですよ!と知って読むのとでは読み方が違う。じっくり集中して読める。なぜなら難しい会話の時は、読みとばしペースだから。

それならいっそ、あとがきを最初に読んだ方が二度読まなくて良いじゃないか、と思い至り、6巻はあとがきに最初に目を通した。

あらかじめ難しいとわかっている「普通の会話」を読み下そうと真剣に時間を使うこともなく、サクサク進んだ。

6巻では人の「二面性」なるものに焦点が当たっているように思える。何度かそういったシーンはあったかもしれないが、ここではっきりと読み取れる。

人間社会と言うもので、そこは誰もが二重の存在

忘れてはならないのは、我々が互いに相手にいだく意見なり、友人や家族との関係になりは、不動のように見えても、それはうわべだけで、実は海と同じように果てしなく揺れ動いていることである

このような二面性は、当時「フランスの上層から下層までを二分していたドレフュス支持派と反ドレフュス派というふたつの潮流の波紋」を通しても現れる。

実際に自分が思っている事と、周囲の人にこう思われたいという演出した自分の思う事が描き出される。

実際には二面性というだけでなく、大抵の人には複数の自分があるように思う。その場所や会う人によって少なからず演じ分けている。しかしそれも全部ひっくるめて今の自分であり、社会で生きていくという事なのだと思える。

ただそうではなく、自身を貫いて突き抜けている人も少数いるように思う(一面しか見えない芸能人を例にするのもどうかと思うけれど、GACKTさんとか、本当にすごい。使い分けているようには思えない)。

さて、

残りのページは、個人的に面白みを感じた5点について調べた事に割きたい。
ついでというわけではないけれど、前回軽く触れた「バカロレア試験」が6巻で満を持して本文に登場していて嬉しかった(P.139)。

①9階級の天使
②エクス・ニヒロ
③世界の七不思議
④樽の底で暮らすディオゲネス
⑤画家バーン=ジョーンズ

①9階級の天使

作中に出てきたのは、ケルビムとセラフィム。9階級とは?

上位・中位・下位と三隊ずつに分かれ、上位は神に最も近い存在で、中位にお告げを伝え、中位は下位に、下位は人間に伝える。したがって、下位三隊が人間に1番近い存在

上から順に、
上位:セラフィム(熾天使)、ケルビム(智天使)、スローンズ(座天使)
中位:ドミニオン(主天使)、ヴァーチュース(力天使)、エクスシア(能天使)
下位:アルケー(権天使)、アークエンジェル(大天使)、エンジェル(色々な天使)

ちなみに4大天使(ミカエル・ラファエル・ガブリエル・ウリエル)はセラフィム階級らしい。

②エクス・ニヒロ

本文には「無から生じた」としてエクス・ニヒロなる言葉が登場。かっこいい響き・・

ラテン語で「存在しないものから」または「無から」という意味。キリスト教やイスラム教などの宗教において、神は無から全てを創り出したという教え。

③世界の七不思議

本文には「フェイディアスが純金で鋳造したとされるオリンピアのゼウス像」とある。他になにがあったっけ?と思って調べてみたが、長くなるので詳細は割愛。(クリックでWikipediaにリンク)

ギザの大ピラミッドバビロン空中庭園エフェソスのアルテミス神殿オリンピアのゼウス像ハリカルナッソスのマウソロス霊廟ロドス島の巨像アレクサンドリアの大灯台

④樽の底で暮らすディオゲネス

「自分の暮らす樽の底で、ディオゲネスよろしく人間を求めているのだ」白昼にランプをともして歩いている理由を問われて、「人間を探している」と答えたのが有名

なにその面白い人、と思って調べたのがこちら。

紀元前412年頃、古代ギリシャの哲学者。全ての文明を放棄し、樽を住居として犬のように生活した。キュニコス派(kynikos)と呼ばれ、はギリシャ語で「犬のような」という意味。現代では「皮肉、ひねくれ」を意味するcynicの語源になっていて面白い。

ひねくれエピソード「プラトンの雄鶏」で知られる故事の元になった人。

プラトン「人間とは二本足で歩く動物である」と定義
ディオゲネス「ではニワトリも人間か」
プラトン「人間とは二本足で歩く毛のない動物である」と再定義
ディオゲネス(羽根をむしり取った雄鶏を携え)「これがプラトンのいうところの人間だ」

その後プラトンは、さらに「平たい爪をした」を定義にを付け加えた。

⑤画家バーン=ジョーンズ

作中の紹介:後期ラファエル前派を代表する画家。ギリシャ神話やアーサー王伝説などを素材にする幻想的な画面が特徴。

「魔法にかけられるマーリン」が掲載されていたが、「アヴァロンのアーサー王の眠り」や「聖杯堂の前で見る騎士ランスロットの夢」などの作品もあり、アーサー王伝説を読んだ人にはたまらない。

(補足)ヨーロッパの貴族階級
公・侯・伯・子・男(こう・こう・はく・し・だん)の順

以上
岩波文庫100冊チャレンジ、残り61冊🌟

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