見出し画像

映画観たせいで人生計画狂いまくり


もともと人付き合いが得意な方ではなかった小学生の私は、毎日図書室に通って小学校にある本は全部読む本の虫だった。文章を書いたりお話を考えたりするのも好きだったので、将来は小説家になると思い込んでいた。なれなかったら死ぬかもなくらいに思っていた。小学生にして自分が社不だと理解していたので、社会で生きていける自信がなかった。

小説以上に私の心をかき乱すものはこの世にないと信じていた。小説家になるつもりで生きた……

映画「悪人」を観るまではなぁーーーーーーーーーーっ!

大学の課題で映画を観てレポートを書けというのが出たので、明日バイトなんだけどなぁとか思いながら深夜一時くらいに観はじめた。

気がついたら朝5時で、私は人生で1番たくさん泣いていた。

ネタバレしない程度に書くと、土木作業員の男が出会い系で会った女とトラブルになって殺してしまい、出会い系で出会った他の女と一緒に警察から逃げるという話だ。

なんなんだよその土木作業員の男は。クズすぎるだろう。田舎育ちで母親に捨てられた過去を持つ、優しさだけが取り柄だったのに人を殺してしまった人間。彼は「悪人」だ。

私は運良く、まあまあ普通に恵まれた人生を歩んできた人間だと自分でも思う。(私が偉いんじゃなくて周りがたまたまいい人多いだけ)

なにひとつ土木作業員の男と共通点がないのに、彼の涙は私の涙に見えた。彼の孤独は私が今までずっと戦ってきた孤独と同じものだった。自分の中でパズルのピースがハマったように、あ、私がやりたいことってこれじゃん、と分かった。
自分だけのものだと思っていた苦しみを映画「悪人」はそのまま描いてくれていた。なぜだか救われた気がした。私は1人じゃなかったんだ、私だけが永久に誰からも愛されないわけじゃなかったんだ、と思えた。
誰かに向けて私の悲しさや嬉しさや感動を描いたら、誰かが応えてくれるかもしれないと希望を持ってしまった。そしてそれで誰かが私みたいに救われたらいいなと思った。それまで生きてきて、そこまで強い確信を持ったことはなかった。私は映画を撮ることに人生を捧げようと思った。

卒業制作で映画を撮った。「悪人」を観たのが20歳のころで、映画を撮ったのは22歳のころ。その2年間ずっと脚本を描いていたのだ。信じられないくらい熱中して書いていて、毎日鼻血を出したり、疲れのあまり全身に発疹が出たりしていた。でも、ものすごくものすごく楽しかった。
撮影も楽しかった。私は未熟だったので、他のスタッフやキャストと衝突することも多かった。私のこだわりがあまりにも強すぎて常に戦いだった。なーんにもわかってなかったのである。私がテイクを重ねまくってどんなにみんなが疲弊していったか。車を借りるお金がないからと機材を5個とか持って電車に乗るのがどんなに大変なことなのか。初めての映画作りは全部があまりにも無謀だった。たぶん当時一緒に撮っていた人は全員私のことが嫌いだと思う。でも当時の私にとってそれは些細なことだった……今は申し訳ないと思っています……懺悔……

でもめちゃくちゃたのしかった!!!

次に長編の映画を撮ったのは25歳のころ、AbemaTVの企画で撮った「受け入れて」だった。

ここで話し出すとみんな寝ちゃうから簡潔に書くんだけど

ここでも私は無理をしすぎて、ついに病気になってしまった。私は疲れると顔面が麻痺するようになってしまった。なんの前触れもなく眼球が上転し、舌の筋肉が硬直して呼吸も苦しくなる。いよいよ普通の仕事はできなくなった。

周囲が心配してくれる。早く病気を治してそれから映画でいいじゃないかと。わかる。元気にならないとパフォーマンスが下がる。頑張り続けても成功するかどうかなんてわからない。むしろこのまま映画を撮っていたら、他の病気になるかも。

でもダメなのだ。もう取り憑かれている。あのとき「悪人」を観ていなかったら、確実に、違う人生を歩んでいたと思う。そして、「受け入れて」を放送して、たくさんの人がメッセージをくれて、私が「悪人」を観て救われたように、救われた、と言ってくれる人がたくさんいて、いよいよ逃げられなくなった。なにから逃げられないかって、自分から。映画を撮らない人生なら、あってもなくても同じだ。

ここに書ききれないくらい他にもたくさんの、ほんとうにたくさんのつらいことがあった。映画を作るのは恐ろしい。でも、心の奥底で、まだ叫んでる自分がいる。

私は映画を撮り続けたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?