見出し画像

28歳の東京

令和2年3月末。
26歳にして初めて東京での生活が始まった。

ぼくが初めて東京の地を踏んだのは、大学1年時の夏だった。地元を出て隣県の大学に通っていたぼくは、高校の頃の友達2人と3泊4日の東京旅行を企て、岡本太郎記念館に行ったり、表参道でパンケーキを食べたり、AKBカフェに行ってオタクを眺めたりした。東京デビューとしては、行き先がニッチ過ぎたかもしれない。

2度目の東京は、大学2年の春だった。別の友達と、ふつうの東京観光(スカイツリー、浅草など)をした。その友達はとても変わった奴で、高校時代お弁当に食べかけのピザを持ってきたり、初めてできた彼女に騙されて高い物を買わされていたりと、何かと気になる奴だった。

大学3年になると、アルバイトで稼いだお金で毎月1回は東京に行っていた。このころは東京旅行とはすなわち買い物旅行を意味していた。格安の夜行バスで新宿に着き、その日の夜のバスで帰る。今でも夜行バスが好きなのは、東京へ行くまでの時間をたっぷりと味わえるからだろう。ミーハーだから渋谷新宿池袋あたりのデパートを片っ端から攻め、お洒落なカフェも果敢に攻めた。アルバイトで稼いだお金のうち、だいたい5〜6万、多い月は10万近くの大金を握りしめて派手に買い物をする。地方に住む冴えない大学生が、その時だけは流行の中で生きているような気がしていた。

田舎で育ったぼくにとって、東京は果てしなく広くて、底が深くて、東京には総てがあるような気がした。事実、欲しいものはすぐに手に入るし、一生かかっても知り尽くせない。大学在学中におよそ10回ほど東京を訪れたが、行くたびに胸を躍らせていた。東京は、ぼくにとって特別な場所だった。

大学卒業後、ぼくは地元で就職が決まり、社会人として4年間過ごした。幼いころから将来は地元で働くと決めていたので、念願叶って大学卒業後また地元で生活できることに喜びを感じていた。親もいるし、友達もいる。住み慣れた街で、今度は社会人というステージで人生を送るのだと思っていた。

しかし当たり前かもしれないが、現実はうまくはいかなかった。いや、この場合ぼく自身に問題があるのだ。県内での異動があるため、初任地は生まれ育った町ではなかった。とはいえ安定した仕事があり、気のおけない友人がいて、車を走らせれば実家に帰って家族に会うこともできた。
それなのに、生きづらかった。仕事の辛さもあったが、それ以上に生きづらさに耐えられなかった。そこそこ栄えている町(というよりも、地元に比べたら大都会といえるような町)で大学4年間を過ごし、本当の大都会である東京を知った自分にとって、18歳まで過ごしていた地元は居心地が悪かった。
それは、決して欲しいものが容易に手に入らなくなったからでも、おしゃれなカフェや観光地に行くことがなくなったからでもない。いや、それもあるかもしれないが、最も自分を苦しめたのはどこに行っても自分を知らない人がいない窮屈さや、肩書きで自分が見られる、自分が記号化されることへの恐怖、自分がどんどん消費される恐ろしさなどである。上手く言語化できないのだが、おそらく田舎が性に合わず、大学時代で外の世界を知ってしまった分余計田舎での生活が苦しくなったのだと思う。

結局ぼくは、26歳で退職をした。そして環境を変えるべく、というと聞こえがいいが、結局は地元から逃げるべく、上京を決意したのである。

上京してから2年が経とうとしている。28歳の今のぼくにとって、東京は果てしなく広くて、底が深くて、総てがある。それは今でも変わっていない。しかし、怖いもの知らずで東京を楽しんでいた頃とは絶対的に違う。東京で生活をして、自分には何もないことを思い知る。そして永遠に満たされることがないということに気づく。

東京での生活を何かしらの形で書き留めておかないと、やがて自我を見失うのではないかと思い、noteに書くことを決めた。このnoteでは、地方出身のぼくが東京に飲み込まれていく様子を記録していく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?