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「ファミコンバカ」と呼ばれた5歳児は今でもゲームをしている (3)

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僕の父は、僕が中学1年のとき、肝臓がんでこの世を去った。

「破天荒」「豪快」という言葉がぴったりの父だった。
ロクに働きもしないのに金遣いは荒く、母はかなり苦労したし、ウチはけっこうな貧乏だった。

遊びに出かけ、家にいないことも多かったが、明るく人に愛される性格で友人も多く、一緒にいる時はよく遊んでくれたし、色んなところに連れて行ってくれたので、僕は父が大好きだった。

一方でしつけには厳しく、行儀の悪いことをして、よく叱られた。怒っている時の父はそれこそ鬼のように怖かったが、おかげで食事や人付き合いにおいて、失礼のない振る舞いができるようになったことには、とても感謝している。

これだけ聞くとダメな男、に聞こえるかもしれないが、父の「破天荒」と「豪快」は、他界してもう20年以上経つにもかかわらず、親戚同士の集まりになると「武勇伝」や「伝説」しか出てこないレベルですごかった。

「破天荒」の部分については、ここで書くにはちょっと憚られるが―――
本当にどの「伝説」も頷けるほど、何でもできる父だった。

スポーツは万能で弓道で国体優勝し、スキーやゴルフはプロ並み。

ボウリングでは3ゲーム連続パーフェクトとかいう意味の分からない記録を持ち、何度もプロにスカウトされたとか。

スポーツだけでなく頭もよく、学歴こそ高くないものの異常に頭の回転が速く、クイズ番組なんかを一緒に見ていると「この人に分からない問題はないんじゃないか?」と思わせるほどだった。

そんな父の武勇伝を語る親戚たちは、口をそろえてこう言う。

「お前の父ちゃんは、何でもできたけど、本当に努力家だったんだよ。」

「でも、努力しているところを、人に見せるのが嫌いな人だったなあ。」

そんな影の努力家だった父は、新しいものが大好きで、面白そうなものには飛びつき、人知れず努力して上達し、驕ることなく楽しさを人に教え、分かち合う。
誰もが一緒にいて楽しいと思う父は、人から尊敬される存在だった。


そんな父が、僕が4歳のある日、また新しいものに興味を持ち、大きな箱を抱えて帰ってきた。




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ついに、あいつが家にやってきた。

(つづきます)

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